稲穂嶺と銀山は北海道では珍しい鉄道駅からすぐに登れる山である。札幌からの運賃は片道1410円だが一日散歩切符を使うと往復2200円で済む。その位置から羊蹄山とニセコ連峰の眺めが非常に良い。残雪期の散歩に最適だが、稲穂嶺には夏は山頂直下まで林道が走っている。銀山には電波反射板保守の為の夏道があるのではないかと思う。
銀山駅の下り線ホームの小樽方から山の斜面のヤブに取り付く。少し登ると作業道が現れるので、それに沿って上がっていく。
しばらく上がるともう少し立派な水平林道が現れるので、それに沿って一本北の尾根に取り付く。この尾根の末端は送電線の足場なので刈り払われている。
登るに従い木々は数を減らし、スキー場のような景色が広がる。山頂へは少し左に回りこんで登ると良いかもしれない。山頂に着くと羊蹄山とニセコ連峰がバーンと広がる。少し細い木がある。
稲穂嶺から銀山の稜線は視界が良ければ全く問題になる所はない。良い稜線散歩だ。稲穂嶺寄りには殆ど樹がなくて、銀山寄りは疎林である。途中で横断する送電線は「泊幹線」。泊原子力発電所の電気を大消費地札幌に送るものである。銀山が近くなると小さな雪庇が尾根にあらわれる。
稲穂嶺から銀山を見る |
稲穂嶺から 三角点累標岳方向 |
稲穂嶺から銀山への稜線 余市岳方向 |
銀山から羊蹄山を見る |
銀山山頂には電波反射板があり、反射板に垂れ下がったロープが風で板に当たってゴーンゴーンと鳴っていて興醒めであった。展望は稲穂嶺より良いが電波反射板と、この音が気になって落ち着かない。銀山山頂の南側は雪が溶けて地面が出ていて、踏み跡が見えていたが、どこにつながっているのか、確認はしていない。電波反射板管理の為の道で、2.5万地形図にあるセトセ川支流沿いの道路につながっているのではないかと思う。
下山は北北東の尾根に下ったが、この尾根は林道を横断する標高310mより下が低木のブッシュに覆われてスキーで滑りにくく、山頂から少し戻って、図の青線の一本西側の尾根を下った方が早かったかもしれない。
山の斜面が終わって平らになってから舗装道路に出る間は草地で、雪が切れていたとしても歩行に問題はない。道路に出てから駅に戻るまでの途中から、歩いてきた稜線の下の一角に太い刈り分けがある尾根が見える。スキーに良さそうだ。
銀山の市街地から銀山駅までスキーを担いで登り返すのが大変だった。
地形図に山名として振られている「稲穂嶺」を「いなほれい」と読むと信じて疑っていなかったが(国土地理院では2010年現在「いなほみね」にしている)、三角点の点の記や他の地方の地図を見るようになってから、「稲穂嶺」は本来、国道5号線にもある稲穂峠と同じく「いなほとうげ」と読むべきで、元々は山の名ではなかったのではないかと考えている。大正2年選点の三角点稲穂嶺の点の記でのフリガナは「イナホミネ」であるが、フリガナは点の記作成時のものとは限らず後から挿入されたことも考えられるという。
日本山岳地図集成の中で大台ケ原そばのコブシ嶺(ママ・松浦武四郎の乙酉掌記では「マブシ嶺」)・アリノキ嶺の嶺の字に「とうげ」と振られている1)のを見た。日本百名山の大菩薩岳も、山頂に三角点のある地形図(2010年現在)に記される大菩薩嶺(だいぼさつれい)という山名があったわけではなく、中里介山の小説で有名な大菩薩峠のことである2)3)との話である。大菩薩峠のある甲斐の甲斐国志を見てみると、大菩薩峠の見出し名は大菩薩坂となっていたが、「嶺」と書いて「タウゲ」とルビを振っている例が沢山ある。大菩薩峠の「嶺ノ名」と言った表現も見られる。他の無名な三角点でも、ごく古い三角点では点の記の中で「嶺」の字に「とうげ」と振り仮名して読ませているものがある。甲斐国志の他にも江戸時代や明治時代の地誌や旅行記を読んでいると、峠(とうげ)に嶺と字を当てている例は普通に見られる。国土地理院の前身である陸地測量部が点の記に、稲穂峠近くの三角点の名として「いなほとうげ」と呼ぶべく「稲穂嶺」と書いた字を後世の人間が「イナホミネ」と読んだのが山名「稲穂嶺(いなほみね)」の始まりではなかったかと推測する。
稲穂峠は国道5号線の峠で現在はトンネルでくぐる。江戸時代中頃、文化年間から海の難所積丹半島神威岬を避ける和人の道として在ったと言う。アイヌが峠でカムイに捧げたイナウに由来する5)と言う。
銀山もまた本来は山名ではなく、麓の銀を産出したルベシベ鉱山を指す銀山(ぎんざん)6)の市街地の傍の三角点の名ということに過ぎなかったのではないかと思う。ルベシベ鉱山は銀山より稲穂嶺に近い、稲穂峠の北約2kmにあった7)。現在の仁木町銀山地区は元は馬群別といったが、ルベシベ鉱山の拠点として集落が銀山と呼ばれて字名となり、駅名となり、三角点の名となり、語尾が「山」の字だったばかりに山名ともなったのではなかったか。
国土地理院の地形図には、一部にこうした元々の山名に拠らない三角点名に基づく「山名」が見られる。五万分一地形図の白滝図幅、二万五千分の一地形図の北見峠図幅にある「和刈別」などのように山名として表記されていても語尾が山のイメージから掛け離れていれば何かおかしいとはすぐに分かるが、稲穂嶺と銀山は巧妙であった。上記のような由来であったとしても、山名表記されていることで登山者が登り景観を楽しむならば、これも新しい山のあり方なのかもしれない。
参考文献
1)仲西政一郎,大台ヶ原山,日本山岳地図集成 第2集 中部山岳(南部)九州編,学習研究社,1981.
2)深田久弥,日本百名山(新潮文庫ふ-1-2),新潮社,1978.
3)高辻謙輔,日本百名山と深田久弥,白山書房,2004.
4)松平定能,甲斐国志 上,甲陽図書刊行会,1911.
5)山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
6)国有鉄道札幌地方営業事務所,高倉新一郎・知里真志保・更科源蔵,北海道駅名の起源,国鉄札幌地方営業事務所,1950.
7)北海道開発庁,五万分一地質図幅「茅沼」,北海道開発庁,1952.
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