渚滑岳
天塩岳連山の北に位置する北側が平かな北海道らしい山容の山。北海道でも寒さの厳しい所だけに周氷河地形のソリフラクションで斯くも滑らかになったのかと思っていたが、平坦なのは火山活動による溶岩流の元々平坦だったところへの堆積が侵食の蓋になっているのが元になっており、更に周氷河作用があったということのようである。南面が切れ落ちているのは蓋が無くなった渚滑川沿いから侵食が進んでいるのか、溶岩流が乗る前の地形によるのか、溶岩流の乗り方によるのか、南面に断層があるがその断層によるのか、分からない。
渚滑岳南面 林道から外れた辺りから |
「北海道の山と谷 下巻」にあるルートを基本に行った。
滝上町第五区市街地の国道273号線の西側に左のような看板が出ていて、そこから入るのがアプローチとなるオサツナイ林道である。夏道もなければ冬のルートも特に決まってるわけではなさそうなわりには立派な標識であった。
オサツナイ林道はこの冬、造材をやっていたらしく、標高520mまで 除雪されていた。約5kmの林道歩き、時間にして1時間が省けた。奥まで自動車で入れたので、はじめに下りに予定していた東尾根から三十五線沢出合に下山するルートはやめて、往復することにした。南から見ると渚滑岳は大きな山だ。
560mの橋を渡って林道から外れるが、「山と谷」にある細い尾根に乗る必要はなさそうな緩斜面で、その尾根の西の沢に沿って登った。湧き水が汲める雪が溶けている場所が何ヶ所かあった。
コルまで傾斜は緩く広い谷筋のままだったけれど、コル直下で左上方の渚滑岳南斜面からの雪崩の恐れを考慮するなら、細尾根に乗って稜線でコルに上がった方が良かったのかもしれない。
コルより上は急登で「自分って山登り嫌いだったかも」 と思ってしまった。「山と谷」にある「890m岩峰」というのは岩峰と言うほどではなく、遠くを通った。稜線に上がる最後の登りが少し細くヤブがうるさい。急登はスキーで登れるのだろうかと思った。
稜線に上がるとダケカンバ(白樺?)の若木のブッシュで、すね程度のラッセルだった。4月とは言え雪はそこそこ深い。稜線は硬くなってスタスタ歩けると期待していたのに、わかんでは足が重かった。山頂付近は裸の斜面が多く、シュカブラも見られた。北方にはウェンシリ山塊がよく見える。西北には南から三頭山、ピッシリ山の次に利尻山まで見えた。天塩岳、大雪山もよく見えた。チトカニウシ山は、南東にそれほど高くなくあるが、稜線の白さは周りの同じ程度の標高の山々に比べて群を抜いていた。チトカニウシ山が山スキーの山というのはそういうことかと思った。東には北見富士(北)が端正な姿を見せている。
山頂一帯は地図を見た印象通りに殆ど平坦で、大きな木や岩陰はなく、吹きっ晒しの場所である。ポツンポツンと生えている背の低いアカエゾマツの陰で風を避けて休憩した。ストーブの風除けに少し雪を掘ってみるとハイマツが見えた。
下山は折角なのでルートを変えて、山頂から直に南に下りる尾根か その一本西の南に下りる尾根を採ってみようと偵察してみたが、西の尾根は樹木が少なく、直に下りる尾根は高度感が恐くて、結局登ったルートを戻ることにした。稜線南側の斜度の変化は滑らかに連続的で雪庇はなく、南斜面全体でも樹木はそこそこ生えていて、ところどころ開けた斜面もあるので、スキーの上手な人なら700mを一気に下ってしまうのかと思った。
ウェンシリ山塊 |
チトカニウシ山 |
天塩岳連峰 左奥は大雪山 |
渚滑岳北面 上紋峠から |
帰りに滝上町と朝日町の境の上紋峠を通って、峠のすぐ上にある藻瀬狩山に登って渚滑岳を眺めたが(上の4枚の写真の右下)、あまりの扁平さに「あのような山とも丘とも呼べないようなところに登ったのか」と、ちょっとがっかりした。天気の良い時に上紋峠から縦走してみたい気がした。
はじめに下山に用いようと考えていた第五区へ向かう東尾根は歩いた人によると、非常にヤブがうるさくアップダウンも遠目より激しく、通行に適さない尾根だ、との話であった。
渚滑川河口付近の 大きなくぼみの地図 |
「渚滑(しょこつ)」は滝上町市街地辺りにある so kot[滝の・くぼみ]ではなく、渚滑川河口付近の窪地の大きさを言った si- kot[大きな・くぼみ]の転訛でないだろうか。滝上町市街地付近の滝壺と考えるのは、川の名として呼ぶには奥に過ぎるのと部分的に過ぎるのではないかと思う。渚滑川河口付近には最大幅で3km、奥行き5kmのオホーツク海側では他に見られない、広く分かりやすい窪地がある。
松浦武四郎の安政5年の戊午日誌に、その一昨年に98歳だったという(87歳)アイヌ古老に「シヨウとは滝の事にて、コツとは渓間の中低き処を申し、此水源一大渓間より一すじの瀑布にて水源をなすが故に此名といへり。」と聞いたとあり、「頗る其訳を是とするに足れり。」とされているが、その前に安政5年に新たに聞いた、その古老の子息を含む3人の地元アイヌ有力者に「只シヨコツとは其川の両岸平地にて低きによつて云。シヨとは低き形ち、コツとは地面の事なり」と言われたとしている。後者が伝えられる途中で歪んでいたのかも知れないが、真意を含んでいたのではなかったかと考える。安政5年のフィールドノートである手控では、その地元アイヌ有力者3人からは「不知」とされ、少し後ろに別のアイヌの人からか、後から3人に改めて聞いたのかはっきりしないが、「此川すじ両岸平地多く、至て平なるが故に号しとかや」とある。
日誌の平地説の訳語を反対にして考えると、so kot[平らになっているところ・くぼみ](so[平らになっているところ]は so[滝]と同音異義語)となりそうだが、くぼみ(kot)が前の言葉で何らかの修飾を受けているとして「so の」と意訳すると、くぼみの所属元や所有元といった、より大きい概念(この場合はくぼみを含むより広いエリア)が so ということになり、くぼみの外側の山地が高まることで内側のくぼみを形成しているので、so で「平らになっているところの」と考えるのはおかしな事になる。こうした名詞同士の修飾の語順は、アイヌ語では前が後ろを修飾するということで日本語と同じようである。「平らになっているくぼみ」と「平らになっているところのくぼみ」は違う。渚滑川河口付近のくぼみは、「平らではない山地が輪状に取り囲んだ内側の低く平らになっている所」であり、「平らになっているところの一部であるくぼみ」ではない。くぼみは下にくぼんで平らでない所だからくぼみなのであって、窪みの底が広がっている「くぼみ的な平らになっているところ」はあるかもしれないが「平らになっているところ的なくぼみ」は直感に反するように思われる。千歳市や函館市に類例のある si- kot と考える。
手控にはショやコツの訳語は書かれていないようである。訳語は松浦武四郎が日誌にする時に加えたもので、加えながら何かおかしいと言う思いが訳語を反対にさせたのではなかったかと考えてみる。
参考文献
小疇尚・小野有五・野上道男・平川一臣,日本の地形2 北海道,東京大学出版会,2003.
北海道立地下資源調査所,5万分1地質図「渚滑岳」図幅,北海道立地下資源調査所,1981.
北海道の山と谷再刊委員会,北海道の山と谷 下,北海道撮影社,1999.
山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 中,北海道出版企画センター,1985.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集6 午手控2,北海道出版企画センター,2008.
中川裕,アイヌ語千歳方言辞典,草風館,1995.
田村すず子,アイヌ語,言語学大辞典 第1巻,亀井孝・河野六郎・千野栄一,三省堂,1988.
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