雲居山
伊阿根山中腹から

伊阿根山
維文峠から

伊阿根山山頂の様子
雲居山 (488m)・ 伊阿根山 (576.4m)
エアネヌプリ
イセップヌプリ

 鬼刺山に登って以来、エアネヌプリ e- ane nupuri[頭・細くある・山]というアイヌ語の名を持った山が気になっている。上川盆地と名寄盆地を区切る山地は「鬼斗牛山脈」と呼ばれ、それほど高い山々はないものの明治時代の地図では多くのアイヌ語らしい山名が振られていた1)。その中にエアネヌプリの一つがあったが、現在、その名を受けたと考えられる音の伊阿根山(いあねやま)は当時のエアネヌプリとは異なっている。エアネヌプリは現在の雲居山の位置であった。二つの山は近接しているので縦走してみた。


★ゲート〜伊阿根山

雲居山と伊阿根山の地図 維文峠の車道(道道251号線雨竜旭川線)はまだ冬季通行止めだったので、上川盆地側のゲート前から登山開始。ゲートまでの道路は二車線の立派なものであったが、その先は工事中であった。イプンペウシ川を渡ってしばらくまでは二車線の路盤は完成しているものの舗装が済んでいなかった。その先から維文峠までは一車線の砂利道であるが、二車線化に向けての測量の準備が見られた。維文峠から名寄盆地側は二車線の舗装道路が完成していて、除雪車も開通に向けて一度は入ったのか路面に雪は既になかった。

 一旦、峠から植林されたばかりの針葉樹の若木に覆われた稜線に取り付くも稜線に上がると天塩側に雪に覆われた林道が伊阿根山方面に続いているのが見え、この林道を伝うことにする。林道は斜面にほぼ水平にあり、伊阿根山の南西面に続いている。カンバの類の花が咲き出していた。ヒリリーと鳴くキレンジャクの群れが孤立した木に集い、アカゲラが地面に近い切り株を漁っている。白鳥の北帰行のV字編隊がホンホンという鳴き声とともに頭上を越していく。

 最終鞍部付近から伊阿根山に取り付いて登った。最終鞍部付近では南東面に付けられた林道の側溝の雪解け水の流れが、辿ってきた林道を横切っていた。雨水は石狩川のエリアに降りながら人為的に天塩川の流れに合流させられているわけだ。

 北斜面であるが伊阿根山の雪はもう薄く、下の方では所々地面も見えていたが、標高を上げるとまだまだ厚い雪があった。傾斜は急で登りにくい。山頂が近付くにつれて疎林となり、スキーに適した雰囲気であった。

 山頂は大木の疎林地帯であるが、それほど展望は良くない。北側の馬蹄形の谷間が見えるが福原盆地はその西側の枝に遮られてあまり見えない。雲居山は鋭い。噛伊尻は地形図の印象の通り、南北にのっぺりした姿でちょっとカムイという雰囲気でない。更に白鳥の鳴き声が頭上を越え続けていた。


★伊阿根山〜雲居山


雲居山山頂から福原盆地

 伊阿根山から雲居山へは登ってきた林道を用いず、直線的に雲居山を目指すことにした。雲居山を目掛けて伊阿根山を後にする。標高350m付近で林道を横切ると、その下では針葉樹の植林で見通しが利かない。チョロチョロと音を立てて流れる辺乙部川源流(天塩川源流)の幾つかを一跨ぎで越えて少し登るとすぐに維分峠そばの道路に出た。

 雲居山の斜面は見た目より登りやすい。傾斜もほどほどだ。数本の作業道跡を横断する。

 山頂は雑木林だが、地形には邪魔されないので福原盆地がよく見える。天候が伊阿根山の頃より回復して南側にも旭川盆地と、それを越して大雪山の白い山並みが望めるようになった。本田技研のテストコースも飛行場のようによく見える。北側から聞こえ続けていたかすかなエンジン音は畑への融雪剤散布のものであっただろうか。

 福原盆地はかつて覚礼(かくれ)原野と呼ばれていた。カクレはアイヌ語由来だろうか?隠れ里のような地形である。湖であったと言う説もあるという。伊阿根山の南西斜面はかなり伐採されているのが見える。


★雲居山〜鉄甲山〜下山

 雲居山の西側は最初、急斜面であるが、すぐに緩み稜線は広く快適になる。隣のコブは木々がなく格好の展望台であった。雲居山も聳え立っているし、旭川盆地もすっかり望める。


雲居山の下り
(西斜面)

西のコブから
雲居山を振り返る

本田技研の
テストコース

 雲居山の南面を横断する作業道が下りて来て稜線に絡んだりする。この辺りは石狩川と天塩川の分水嶺を歩いていることになる。送電線をくぐるとまもなく鉄甲山の北端である。鉄甲山は昭和23年の地質図によると「てっこうざん」と読むらしい。現在(2008年)、ネット上では「てつかぶとやま」と書いているところが多いようだ。南北に双耳峰になっており稜線西側には道路のような木々のないエリアがある。どこにもつながらず崖で終わっていたりするのでこれは昔の送電線用地の跡だろう。山頂は木が少なく、これまで歩いてきた山々がよく見える。江丹別の盆地もよく見える。


鉄甲山の稜線
(送電線跡)

西方
丸山

雲居山を
振り返る

 しかしこの山、ごく小さなピークで山という感じがしない。西に続く稜線上の「丸山」のほうがはるかに立派である。旭川盆地から眺めてもこのピークは送電線がなかったら指呼することは不可能だ。送電線の鉄塔が「てつかぶと」なのだろうか?と考えてみたりもするも、昭和23年の地質図では鉄甲山の名は現在の丸山に振られており、丸山はそこの三角点の名前であり、山の名が三角点の名前だけ確認されて役場の中で移動してしまったということはないのだろうかと疑う。自分としては鉄甲山は現在の丸山でなかったのかと思う(後述山名考参照)。

 送電線用地跡の崖を下りたりしながら車を置いたゲート前を目指した。雲居山の南面を横切った林道は鉄甲山の東側もトラバースしているのでそれも横断し、下降する。途中でエゾユキウサギを見た。まだ冬毛で真っ白だった。林内は荒れている雰囲気がある。最後に針葉樹の植林の中を舗装道路に下りた。

 鉄甲山のすぐ下の林道から枝道が沢筋に沿って最短でイプンペウシ川に向かって下りているのが見える。



鬼斗牛山脈概略

★山名考

 雲居山、伊阿根山の名と思しき名前が管見の限りで最も早く登場するのは江戸時代の松浦武四郎の聞き書きである。丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌で、オサラッペ川の上流域にある山として「其辺の岳をイセツフノホリ、ヤニノホリと云、相応の川有るよし也」と書かれている。だが、絵図もなく、集大成である東西蝦夷山川地理取調図にもこれらの山は記されず、どの山を指しているか同定することが出来ない8)9)

 これらの山の位置が最初に地図に載ったのは明治30(1897)年までに発行された北海道庁による北海道実測切図(通称道庁20万図)であると思われる。この地図によると現在の雲居山がエアネヌプリであり、伊阿根山がイセップヌプリである。ヤニノホリ〜エアネヌプリの音を受け継いだ伊阿根山は間違いで、本来は雲居山を伊阿根山とするべきのように思われる。山の形状も e- ane nupuri[頭・細い・山]に合致していそうなのは雲居山の方である。

 鬼斗牛山脈の山の名は雲居山・伊阿根山以外でも色々な見方があったようである。

現行地形図
(2008)
1957年の地質図 三角点の名前 鷹栖町史(1973) 道庁20万図(1897年) 秋葉(2005) 尾崎(2002) 渡辺(2002)
冬路山(625.1m)
冬路山(ふゆじやま;明治33年)



ウヲイシリ
シラッケ山(625m)


ウフィシリ


丸山(556.4m) 鉄甲山 丸山(まるやま;大正5年)




鉄甲山(406m)






雲居山(488m) 雲居山
雲居山 エアネヌプリ イアネヌプリ エアネヌプリ
伊阿根山(576.4m)
伊阿根山(いあねやま;大正5年)
俗称雄鷹峯
雄鷹山(おだかやま) イセップヌプリ イセップヌプリ イセップヌプリ エア子ヌプリ
噛伊尻(577.4m) 白妙山 噛伊尻(かむいじり;明治44年) 白妙山
(高砂峯、イセップヌプリ)
カムイシリ

カムイシリ
千歳山(441m)

千歳山
(チライネヌプリ)




名前なし(521m) 北斗山
北斗山



 地質図に記された山名は参考とされた地形図(昭和23年)には記載されていなかった。地質図の編集者が独自に集めた名称と思われる。この地質図では現在の地形図や町史にも書かれていない細かい丘(丘陵地帯)の名称も多数書かれており、独自に地元で情報収集したかと思われる。

 シラッケ山もしくは冬路山のアイヌ名として考えられるウフィシリであるが、道庁20万図の初版ではカタカナでウヲイシリと書かれているがローマ字では Uhuishiri で、重版ではウフィシリと書かれており、本来はウフィシリと書きたかったものと思われる。知里真志保の地名アイヌ語小辞典6)では uhuy-sir(火山)の一項が近文採録の単語として載せられている。シラッケ山にせよ冬路山にせよ地質学的に火山でないことに説明が付く。h と y から、ru-par o sir[道の・口・ある・山]の転訛かと考えてみる。シラッケ山について山田秀三はシラッキ山と書き、siratcise sirar ciseシラッチセの上にある山ということで和人の口に訛ったものではないかとしている11)が、江丹別川と拓北川の小平野という sir に挟まれた sir-aw -ke[見える有様・の内・の所]ではないかと考えてみる。


雲居山を後に

 カムイシリは何か危険である山ということではないかと考えてみるが客観的に評価しがたいものがある。カムイシリは南の旭川側から見る限りでは鬼斗牛山脈で最も大きく立派ではある。危険ではなく立派な山である事を言ったものか。

 チライネヌプリはその音から ciray ne nupuri[イトウ(魚)・のようである・山]かとまずは考えたくなるが、イトウが特別に形の特徴を持つ魚とも思えない。何らかの地形を指す言葉の転訛だと思う。チライネヌプリは町史以前の資料を辿れていない。千歳山という和名だが千歳川の水源にあたっていないことが気になる。明治29(1896)年の北海道実測切図を見るとオサラッペ川の現在の比翼橋より上流はチライウンペッとあって、千歳川はポンチライウンペッとある。イトウがこの川ばかりに入るとは考えにくい。チライウンペッは鬼斗牛山脈の山並が最も南に突出している所に入っていく。sir awe un pet[山・の内・にある・川]が訛ったのがチラィウンペッで、別名としてか、河谷としてか sir awe ne -i[山・の内・である・所]の訛ったチラィネペッなどとも言い、その川の辺りの山と言うことで sir awe ne nupuri[山・の内・である・(川の)山]と呼ばれたのが訛ったのがチライネヌプリではなかったかと考えてみる。

 伊阿根山であるイセップヌプリはイセップがウサギを意味する isepo で、isepo un nupuri で、アイヌ語の旧記では隣り合う母音で前の母音が追い出されることがあり、重なった同種の子音が一つになることがある12)ので、カタカナで音を書けばイセプヌプリとなったもので、獲物となるウサギを追って入る山だったのではないかと、考えてみたが、とりわけウサギの多い山などあるわけないのだから違うだろう。イの部分は維文峠を指す ru[道]の転訛で、雲居山より大きく目立つ峠道の脇の ru-ca o p[道の端・にある・もの]がイセップの音になったのではないかと考えてみるが、更に考えたい。

 雲居山だが、イアネヌプリとすると i- ane nupuri[それ(動詞の項を一つ減らす接頭辞)・細い(一項動詞)・山(名詞)]となり ane nupuri を取れなくなるので文法的に破綻する。山容より e- ane nupuri[その頭・細い・山]でないかと考えておく。


★旭川盆地(鷹栖町内)から見た鬼斗牛山脈の山々


丸山

鉄甲山と雲居山

伊阿根山

噛伊尻

参考文献
1)北海道庁地理課,北海道実測切図「上川」図幅,北海道庁,1896.
2)鷹栖町,鷹栖町史,鷹栖町,1973.
3)和寒町,和寒町史,和寒町,1975.
4)渡辺隆,明治の地図に記された北海道の山名,pp59-78,5,アイヌ語地名研究,アイヌ語地名研究会・北海道出版企画センター,2002.
5)中川裕,アイヌ語千歳方言辞典,草風館,1995.
6)知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
7)5万分1地質図幅「比布」,北海道開発庁,1957.
8)松浦武四郎,高倉新一郎,秋葉實,丁巳 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1982.
9)松浦武四郎,秋葉實,武四郎選集4 巳手控,北海道出版企画センター,2005.
10)尾崎功,アイヌ語地名地誌 上川盆地の川と山,尾崎功,2002.
11)山田秀三,北海道の峠を尋ねて,アイヌ語地名の研究(山田秀三著作集) 第2巻,山田秀三,草風館,1983.
12)知里真志保,アイヌ語入門,北海道出版企画センター,2004.



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(2008年5月27日上梓 2017年5月9日山名考改訂)