本高盤岳の位置の地図

本高盤岳 トーフ岩
本高盤岳 (1711m)
もとこうばんだけ
通称「トーフ岩」、「食パン岩」、「タクワン岩」

 山頂に乗る「トーフ岩」は屋久島島内で最もシャッターを切られる岩だと言う。淀川口から登られる宮之浦岳登山道にはご丁寧にも「高盤岳展望所」まで新しく設けられた。湯泊歩道からわずかに道を離れたところにある。すぐ着くが最高点のトーフ岩の上までは登れない人が殆どだろう。ワタシもまたその一人だ。


歩行日・・・2003年11月28日
五万図・・・「屋久島東南部」
アプローチ・・・宮之浦岳淀川登山口から花之江河まで約2時間弱、登山口までは紀元杉バス停から徒歩30分
参考時間・・・花之江河-0:10-湯泊歩道から離れる-0:10-山頂


もとこうばんだけのちず 花之江河から南の方へ湯泊歩道に入る。すぐ木道の階段は終わり、右へ栗生歩道の痕跡を分けると道はやや荒れて水が溜まるようになる。しばらく行くと前方に本高盤岳がすっきりと見えるひらけた斜面を下って行き、沢を渡って少々行くと本高盤岳の鞍部に達するので左のヤブに入っていく。目印テープなどは全く見当たらなかったので自分でちゃんと鞍部と判断して歩道からはずれる。


トーフ岩の割れ目

 ヤブに入って山頂の方へ歩き、斜度が加わってくるようになるとすぐに、踏み跡と目印テープを見つけられることだろう。後はこの目印テープに従っていけばよい。信用できないとしてヤブをがむしゃらに登っても別に大差はないかもしれない。しかしみんなと同じ所を歩いているほうがまだ植生への影響は少ないのではないか。

 シャクナゲの大木の中に入っていくとトーフ岩の直下に到着したと言うことだ。上の写真で言うと右の端に出たということで、右の2,3の岩は素人がロープなしでも登れるが、最高点を含むトーフ岩のいいトコロには登れない。事前には腕と大股を突っ張って登ることは出来ないかと考えていたが、割れ目の幅は上部に行くほど大きく開き一尋を超え、手掛かり足がかりはごく小さく、それなのに岩肌はざらざらで手の平が痛くて無理だった。トーフ岩のどの岩にも登攀具のボルトの跡が残っている。この狭い地球、誰も登っていない岩などはありえない。

 岩の周りはぐるっと周ることが出来る。どの方面にもそこそこの展望が開けている。下をのぞいて見ると、トーフ岩の接地面積はかなり小さい。あの狭い面積にこれだけの岩の重量がかかっているかと考えると薄ら寒くなる。割れたのは自重や太陽熱による膨張のせいだとしても、基盤である屋久島本体の岩とはどうやって分かれたのだろうか?宇宙人の遊んだ跡、という空想じみた俗説もチラッと頭をかすめる。

 こうした大岩は地下にある時からこの大きさの岩となることが決まっていたようだ。屋久島を為す花崗岩の塊が堆積岩の地盤を突き破って隆起する時の衝撃で割れて、それがこうした巨岩の元(コアストーン)となり、巨岩の周り(ひびの周りや巨岩の角)は地上に近付くに従って、グズグズと風化し砂や小岩となって流されて、丸くなった巨岩だけが山上に残ることになったようだ。


★山名考

 高盤とは足があり背の高い大皿を指すと言うが、「たかさら」と読むので高盤岳(こうばんだけ)の名とは関係がない。只の宛て字である。薩摩弁での「コバの岳」が「こうばんだけ」と聞き取られ、高盤岳の字が当てられたような気がする。屋久島方言では、各戸に割り当てられないで自由に焼畑などに使ってよい土地を「コバ」と呼ぶと言う。本高盤岳のような高山で焼畑はなかっただろう。奥山で林産物を自由に採取してよい区域にあたる岳であったが、杉の平木の薩摩藩による統制が進み、より里に近いジンネム高盤岳にコバの岳の名が移る中で「もと(元)コバの岳」と呼ばれるようになったのが本高盤岳の山名の由来でなかったかと考える。

参考文献
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
日本大辞典刊行会,日本国語大辞典 第八巻 こく〜さこん,小学館,1976.
宮本常一,屋久島民俗誌(宮本常一著作集第16巻),未来社,1974.(1943年ものの復刻)



トップページへ

 資料室へ 
(2003年12月14日上梓)