由良ヶ岳 (ca.650m) 石浦コース
ゆらがたけ

 2011年現在で地形図に歩道の存在が記載されているが、かなり荒れている。地形図の道は上石浦からつながっているが、山頂から下りながら踏査してみた所、下石浦につながるルートの方がよく残っているように感じた。山頂(東峰)から下石浦までの下り記録である。上石浦からのルートも合わせる。

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由良ヶ岳 石浦コースの地図

★下石浦方面

 山頂を後に東へ草むらの急斜面を一下りで鎌倉(上漆原)への道と分かれる。鎌倉コースは明瞭だが、石浦へは不明瞭である。しかし不明瞭なのは最初の10mほどのみで、その後は三角点「東由良ヶ岳」585.1mのあるコブの北西の鞍部まで明瞭である。明るい尾根道で気持ちよい。

 三角点「東由良ヶ岳」585.1mのあるコブは登らず北側を巻く。鞍部からやや下りながらこのコブの北東稜に向かう踏み跡がハッキリしており、その踏み跡が標高550m附近の伐採上限で北東稜を下降するコースと、伐採上限をトラバースする道に分岐して、伐採上限をなぞって地形図上の石浦への尾根線上の道へと540m附近で合流しているが、伐採上限よりわずかに三角点側の森の中にごく不明瞭な昔からの道と思われる路盤が鞍部から続いて残っている。この古い路盤と伐採上限トラバースの道も三角点東側の谷地形で合流し、トラバースがもう少し続くが、尾根線に上がり直す辺りが伐採された木が積まれるなどで不明瞭である。

 三角点のコブの北東稜を下りる踏み跡も由良・下石浦につながっているのではないかと思うが未確認である。この北東稜一帯は伐採されて間もなく、木があまり生えていない。

 標高530mの接稜点より下では路盤は全く分からなくなったが、標高500m附近までは鹿道が自然な傾斜で続いている。標高480-450mの急傾斜の部分は、鹿は尾根線通りに歩いているようだったが、人間用には迂回して緩やかに登る尾根線とは別のルートがあったのではないかと思う。標高440mの道が谷筋に下りる地点には陸軍の明治32年の標柱があった。舞鶴要塞関連のものである。この標柱で道が北東に折れているが、東尾根上のすぐ南東には何か建物でもあったのではないかと思わせる整地されたような木の生えていない地面が二段ほどあった。

 地形図上では標高440mからずっと谷底を下りるようになっているが、道は掘りこまれた状態で東側の尾根に絡んでウネウネと続いている。標高400mから390mは尾根上で平坦であるが倒木がとても多い。390mで谷筋に下りるところに山の神かと思われる塚とその上に祠があった。下石浦に子供が管掌する元は由良ヶ岳八合目辺りで祀っていた山の神の行事があるという。それの祠か。360m附近で谷底に下りて対岸に渡り、左岸を下りる。上石浦へ流れる馳出川の源流となる谷であるが水は殆ど無い。320mの二股で谷の右股を渡り更に左岸を下りる。この二股の右股のすぐ上で水が湧いていて、ここより下流では水がそれなりにある。この二股から下を見ると谷は急降下しており、谷筋には木が少なく草や低木のブッシュで沢通しでは下れそうに無い。道は左岸の植林の中の高い所を緩やかに下っている。2011年初訪時ははそうでもなかったが、2012年に再訪したら風害かこの年の大雪による雪害か、非常に倒木が多く、標高320-220mにおいて殆ど道を辿れなかった。

 標高220mの尾根の鼻で上石浦へは馳出川の谷底へ下り、右岸に渡って更に東の谷筋に沿って下りるはずだがそうした道は見つけられず、尾根の鼻を回り込んで北西に進路を変え、更に下降する道が明瞭だった。最後は平坦な道となり、石垣や竹林が見られるようになる。何度か東(奥路川流域)へ向かうかと思われる目印テープを見送り、もう一つ尾根の鼻を越えた所での東への分岐(大迫川流域)がハッキリしていたので、竹林の中を下ると標高50m辺りでコンクリ舗装の道に出た。下から来たらコンクリ舗装の終点で右に折れて一旦大迫川の流れを見てから山に入って行く感じとなる。岩苔のようなものに覆われたこのコンクリ道を下ると下石浦の公民館の横に出た。

 公民館前で南に折れればすぐに移された山の神が境内に祀られる住吉神社がある。山の神の祠は境内の本殿に向かって右端である。

 下石浦から丹後由良駅までは近畿自然歩道にも設定される静かな道である。線路を渡るとハクレイ酒造の昔ながらの蔵の間を通って駅に着く。線路脇の野道で多少近道も出来る。駅までの道路の最短ルートを取らずに近畿自然歩道に沿って由良ヶ岳の山裾をめぐると、滝の不動尊の下の墓地や公衆便所の手洗いに、ろ過はされていないが由良ヶ岳のおいしい水が迸っている。


山頂近くは
はっきりしている

三角点
「東由良ヶ岳」の
北東面
伐採上限の道

舞鶴要塞の
標柱
「明治三十二年」
とあった

標高400m附近
倒木が多い

標高250m附近
植林の道

尾根の鼻を
回りこむ辺り
分かりにくいが
上石浦にも分岐

里が近づくと
棚田の跡が
見られる

下石浦を抜けて

瀧の不動尊

丹後由良駅から石浦までの地図
石浦から
丹後由良駅までの地図

★上石浦方面

 2012年、2013年に上石浦からのルートを探してみた。2012年は標高220mの尾根の鼻から上石浦方面へ下ってみた。尾根の鼻の少し上から一旦道の跡に捉われずに馳出川に下りてみると右岸に道があった。振り返って下りてきた尾根を見上げてみると、馳出川を渡ってから右側にトラバース気味に路盤があるのが見えた。これを登り返してみると、尾根の鼻の直前に大きな風倒木があり、それより上では路盤が全く分からなくなっていた。つながりから考えるに尾根の鼻の先で下石浦からの道と上石浦からの道が合流していたと考えたい。

 馳出川を渡った後、比較的広くなだらかな杉の植林の中の馳出川の右岸を下りる。標高170m付近は竹薮となっていて道が不明瞭である。竹林より下でまた植林となる。山田の跡である。標高130m辺りにまた竹林があり、標高120mで左に折れて馳出川を渡るが、馳出川へは急な斜面に切りつけられた道を下りる。左に折れる辺りでは右手に伐採地があって明るい。左に折れずにこの伐採地の中に続いているような路盤があるが、伐採地に入ると全く分からなくなった。

 馳出川を渡るとまた棚田の跡だが今度は植林ではない。山田が更に梅林かミカン畑に転用された跡だったのではないかと思うがハッキリしない。この畑地跡を北に回り込んで馳出川の流れから遠ざかるように進むが、右に反れて小さな尾根に乗り、再び馳出川の音が聞こえる。標高90mの砂防堰堤を落ちる水の音である。

 更に下り、標高70mのところで十字路になっていて左折する道が最もはっきりしている。左折すると赤土を押し固めた道の跡が水平に続いているが下石浦の方へ向かっているような気がして引き返した。右折するとすぐに馳出川の砂防ダムで行止りであった。直進方向には路盤は認められるが笹が茂っていて、この時は入らなかった。

 2013年に左折せず笹の中を直進してみた。車道幅の路盤はあるが笹薮が深く続き、トレースは困難であった。馳出川の砂防ダム建設の為に一時的に開かれた道のようである。路盤の右手(南側)は山田跡の植林地で林床が歩き易いのでそちらから笹薮の路盤を横に見ながら下って上石浦の農道に出た。農道から路盤跡の方へ戻ってみると、農道の終点に倉庫があって路盤跡を塞いでいた。

 農道を少し下り、馳出川の右岸へ進む農道を登ってみた。この農道の終点間近に上水施設があって、そのすぐ先でコンクリの農道は終っているが、歩道が奥へ続いていた。農道の終点から右手に山田跡の植林地の杉林、左手には木の丈の低い伐採跡が見え、その間に歩道が続いている。左手の伐採跡は標高120m付近の、馳出川を渡る為に急斜面を下りた辺りまで広がっている。歩道は標高100m付近で不明瞭になり、杉林と伐採地の境から南側の伐採地の方に少し入って登っていた様だが、伐採地の笹薮が深く伐採の時に重機が動いたか、路盤がどこを通っていたのか分からなくなった。標高120m付近の路盤のはっきりしている竹林に向かうには右手の杉林の中に入ってしまった方が早い。


馳出川へ降りる

竹林があった

杉の植林を抜けて

馳出川右岸標高120m辺りに
伐採地 由良川が見える
左手の杉林の脇に道

一旦伐採地の中に入る
神崎と金ヶ岬
更に博奕岬

伐採地の北側に
沿って歩道が続く
下るほどにはっきりする

上石浦の
農道終点
実質登山口

参考文献
宮津市史編さん委員会,宮津市史 史料編 第五巻,宮津市役所,1994.



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(2011年12月18日上梓 2012年6月24日上石浦他増補 2013年6月2日改訂)