由良ヶ岳
宮津市栗田
小田宿野から
由良ヶ岳 (ca.650m) 嶽コース
ゆらがたけ

 嶽(だけ)は栗田湾に注ぐ大雲川上流の新宮の西ノ谷の上流に位置するが栗田(くんだ)の脇の領分で、1976(昭和51)年を最後に現在は人が住んでいない廃村である。僅かな家屋が残り、植林された棚田の跡が広がっている。登山口の標高が270mと高いので標高差は由良コースや鎌倉コースより小さく、登山口には登山コースの立派な案内板が朽ちて残っており、昔はそれなりに登山者が居たのではないかと思われるが、一部は痕跡も分からないほどに荒れている。一部に新しい刈分けが見られた。嶽から由良の脇への峠越えのコースについても合わせる。

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栗田駅から登山口までの地図

登山口から山頂までの地図

 栗田駅から栗田の街を南に進み、南の端の脇から北近畿タンゴ鉄道の線路をくぐって休耕寺の脇から国道178号線を跨道橋で越えて嶽へ向かう。栗田湾の海風を背中に登る。途中に栗田がよく見える場所がある。休耕寺から更に国道をくぐった先で分岐する地形図に書かれた字ウエガエ(イエガエとも)を登る最短ルートは上の方が荒れている。

 その荒れた最短ルートと合流すると小さな鞍部で、ここから山の斜面に貼り付いた道である。途中の斜面に畑地の跡がある。また鞍部を越えるところで西の新宮から道が合流している。新宮からの野道は竹薮の二股になっているが、東側は嶽への旧道である。西側に下りると新宮に達する。新宮へは倒木が多いが最末端の車道に下りる部分以外は比較的良く残っている。末端だけは完全に崩壊していて車道から見ても道があることは分からない。新宮・狩場へは栗田駅からフリー乗降のバスがあるが、栗田駅からこの道の取りつきまで歩いても一時間も掛からない。

 新宮分岐の手前に岩清水の「一呑水」がある。新宮分岐から水の音が多くなる。西ノ谷は水の多い谷のようである。だが上流に水田跡が多く、水田跡を動物がヌタ場に使っているせいか、登山口付近で沢水は汲めるが多少濁っているので先の一呑水で汲んでおくのが良いと思われる。幾つか廃屋を見て嶽の車道の終点に達する。ここが登山口である。

 登山口には数台分の駐車スペースがある。登山口は三叉路になっており、右が由良が岳で左が峠を越して由良の脇への道。いずれも自動車は入れない。


栗田駅跨線橋から由良ヶ岳

山田の跡の農道を登る

栗田の展望

一呑水

嶽の石垣

廃屋も残る

新宮への道
やや荒れ

新宮への道
きれいな箇所

 登山口から谷の右岸に沿って道が続いている。谷間は棚田の跡で植林されているがヌタ場になっている。谷が少し明るくなって、石造りの橋で小沢を渡ると分岐があり、右に入る。木作りの味のある標識がある。尚も狭まった棚田の跡の谷間の右岸を登る。少し傾斜がきつくなって切通しのような小さな鞍部を越えると平坦な台地が広がっている。標高350mである。こちらの台地の上も植林された棚田の跡のようだが、地形が緩いので一枚一枚が広い。鞍部より下と違って乾いている感じがする。水平に区割りされているので水田跡かと思ったが、畑の跡だったのかもしれない。

 この耕地の跡が標高410m付近まで続く。標高360m付近に分岐があり左に入る。途中の小さな谷間に入っている所には竹林がある。400m辺りから雑木林も混じる。410mから左に反れて池の下に出る。池の下で道が判然としなくなり、池は多少道でない感じの所を登ると見える。「池」といっても水面の殆ど見えない「沼」と呼びたい姿だが、反れる入口に古い看板があって辛うじて「池」の最後の文字が読めたので、池だったのだと思う。池の名前が知りたい。この池の水を引いて台地の上の耕地を潤していたのだろうか。古い地形図を見ると池に寄らずにまっすぐ尾根に取り付く道もあったようだ。


登山口

左岸を登る

石橋を渡る

味のある案内

鞍部への登り

耕地の跡

良い雰囲気

池への看板

 この標高420mの池から標高520m辺りは道の痕跡を全く見つけられなかった。地形図上の道は尾根の右側斜面から登り、途中で小さな谷間に入って尾根上に上がっている。この谷間は林床がきれいで微地形を観察しやすかったが、石浦コースの急斜面などに見られる古い土壕のような道の痕跡は見られなかった。

 尾根上に上がって標高520m付近に舞鶴要塞関連の御影石の標柱が倒れていた。地形図上ではこの先尾根の左側斜面から登っているが、道は尾根線に忠実にあった。左側斜面は風倒木が夥しいようである。580m等高線のコブは最高点まで登らずに由良ヶ岳に向かって左に折れて小さな鞍部へ下る。登山口の古い看板にあった「矢立頂上」とはこの580m等高線のコブのことと思われる。看板には矢立頂上は登山口から1500mとあった。地形図で測ってみると登山口からこのコブまで約1400mである。嶽コース途上で「頂上」を名乗れるのはここと西峰しかない。西峰では距離が合わない。地籍地名としての小字矢立は此処のほぼ真北の奈具海岸に面した谷の耕作地を指したようである。栗田の脇の東端にあたる。登山口にあった古い登山道案内板の元の図面や一呑水や池の名の看板設置の経緯の資料が宮津などの地元に残されていないだろうか。詳しく知りたい。


登山口のコース看板

矢立頂上の文字

 鞍部には白い岩が一つあった。由良の街が木の間越しに見える。振り返ってコブを見ると、コブの東斜面をトラバースする道があったようにも見える。

 この鞍部から標高610m付近までは道の跡が明瞭である。610m付近から根曲り竹の藪が被さるようになる。625m辺りからは完全に根曲り竹の藪となる。635mより上の山頂までの僅かな距離は西峰からの天橋立方面への展望の為に樹木が伐採されているが、その代り猛烈な草むらとなる。藪を嫌って比較的平坦な稜線の西側に移動してみても石浦コース付近の森と違って林床がスッキリしておらず稜線に忠実に歩くのと大差無い。2012年6月現在、標高420mから520mの道の痕跡の無い急斜面と、三角点までの水平距離で最後の100mがこのコースの要である。



急斜面に道の跡は無かった

舞鶴要塞の標柱

稜線に上がった

鞍部から由良の街が

白い岩のある鞍部

わりとよく残っている

最後は藪が濃い

★嶽〜峠〜由良


嶽と由良を結ぶ峠道の地図

峠付近拡大図

 嶽の登山口の三叉路から左に入る。道は基本的に左岸に付いている。谷の最初の二股の右側に防空壕のような横穴があった。横穴の先で右股を渡り、左股に入るとすぐに古い機械が道の真ん中に放置されている。横穴と古い機械の間の右手にはコンクリの土台や酒瓶やガス缶がある。嶽の民家の跡は皆石垣の土台なので造林の飯場の跡で横穴は飯場のムロ跡かと思われる。地形図上では神社マークの手前の二股で右岸に渡っているように描かれる右岸に渡るのはもう少し先である。ムロ跡の最初の二股から地形図上の神社のマークまでは倒木が多い。一帯はずっと棚田の跡である。

 地形図上の神社のマークの大嶽神社は既に跡となっており、石段と石燈籠と瓦だけが残っている。大嶽神社跡は尾根の鼻の上にあって、少し谷間の道を進んでから引き返すように石段で登る。神社跡の石垣は古い野面積みだが、石段は角が尖った新しく切り出した花崗岩であった。神社跡の下手から次の二股までの間だけ道は右岸に付いている。

 大嶽神社跡より上では谷間はだいぶ狭くなってくるが、まだ棚田の跡が続く。標高320m付近で右側の山の斜面に取り付くように指示する道標があった。道は道標と違い直進して枝沢の谷を渡るのだが、谷間が湿地になっていて泥濘で歩きにくいのを尾根に取り付いて上の段のぬかるんでいない棚田の跡を歩けと言うことのようだ。枝沢を渡るとすぐに数回のジグで少し標高を上げて更に平坦な道が左岸に続く。この平坦な道はどういうわけか、渡った枝沢の方にも延びているように見える。先は枝沢の奥の棚田跡の一枚にそのまま続いているが、道だったのか棚田だったのか、その分かれ目がどこにあったのか分からないのを単に時間の所為にして良いのかどうか分からない。

 道は標高340mで本谷を左へ回るように渡って、その先で右折するように山肌に取り付いている。山肌取り付きははっきりしないが、谷筋に入ると踏み跡があり、峠の直下まで登ると古い道型と付け替えた道型が平行しているのが分かる。

 乗り越す尾根は比較的平坦なので峠に「鞍部」の風情は無い。あまり深く掘り込まれていない所を見ると新しい利用者の少ない峠だったのかと思う。木の間越しに海が見える。稜線上は松の木が多い。この峠の名が分からない。栗田と由良の間の七曲八峠も、長尾峠や奈具峠とも呼ばれたようで名前に揺れがあったようだが、この辺りの人はあまり峠の名に頓着しなかったのか・・・。長尾と奈具は同じ言葉の音の別の表記のような気もするが・・・。


ムロ跡

何かの機械

倒木は多い

丸木橋がある

石橋もある

大嶽神社跡の石段

大嶽神社跡

大嶽神社跡

神社跡より上では
谷が明るくなる

迂回路入口

直進はぬかっている

峠への最後の登り

 峠の東側には明瞭な道の跡があった。標高330mまでは斜面のトラバースなので一部崩れて細くなっていたが、比較的良く残っている。標高340mのトラバースの入口には桜の木とその根元に白い石があった。標高330mより下では尾根の上が平坦だが、道は南斜面に入って下りている。340-320mは斜面が立っているので道が細く荒れている。320mより下では広い山の斜面をウネウネと掘り込まれた土壕となって道が続いている。土壕の中は倒木が溜まっていて歩きにくいこともある。標高280m辺りの浅い谷間に入る辺りに小さな山崩れがあって多少不明瞭である。大木となった雑木が並木道のように道の両側にあり、並木の間に海の輝きが見え、歩いていて気持ちよい。

 標高250mより下では桧の植林が混じるようになる。標高170mより下では竹林と畑の跡のような畝が尾根上に見られる。右(南)側の、だんがめ川の谷間には棚田の跡が見えるようになる。標高130mで道のあった尾根の末端に達し、一帯は棚田の跡である。標高115m付近で植林帯を抜けて、だんがめ川の水流に触れるところで道が消えていた。一枚の棚田を谷の左(北)側に移動すると、谷の脇の水路に沿って道があった。それまでと比べると狭くてずいぶん歩きにくい。谷間は植林から竹林に変わり、更に標高100mより下では草むらとなる。ススキが茂っている向こうに由良のリゾートマンションと海が見える。標高80mに車道の終点がある。七曲八峠の入口を確認し、首挽松と柴勧進の碑と駒板の付いた二つの石塔を見て下山した。



峠東側360m付近

峠東側350m付近

巨木があった

桜の木と白い石

峠東側310m付近

280m付近は谷間に

鬱蒼とした向こうに海

標高170m付近
畑の跡と竹林

毛色の違う石があった

尾根の末端は棚田

ススキの原の向こうに海

竹林

首挽松と柴勧進の碑と
言われた石塔

七曲八峠の
入口

参考文献
美しさ探検隊,新・宮津風土記,宮津市,2005.
由良の歴史をさぐる会,由良山椒大夫伝説 旧蹟めぐりのしおり,由良の歴史をさぐる会・由良観光協会,1996.



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(2012年6月24日上梓 2013年6月2日改訂)