吉川峠の
北東約200mから

箕面森町北2丁目
展望の道入口付近から

青貝山(391.2m)

  • 歩行日・・・2013年、2018年
  • 五万図・・・「広根」

★山名考

 日本山岳ルーツ大辞典(1997)に「螺鈿の材料に用いられる珍しい青い貝が採れるという山名」とあるのは、この山の場所に思いを致すことなく字面だけを見て考えたものということではないだろうか。青貝山一帯のような水が少なく狭い山がちな谷間で細々と淡水産で螺鈿細工の材料になるドブガイやカワシンジュガイを採り続ける用は無い。北方性のカワシンジュガイは兎も角、食用にもされるドブガイは昔の無農薬で河川改修されていない環境なら、止々呂美(とどろみ)や吉川のような深い山間でなくても特別珍しい貝というわけではなかっただろう。青貝山産の貝が他地の貝に替えられない螺鈿細工に欠かせないものというなら、養殖なり移植なりされて、地元の産業になっているはずだが、そうした話は見聞きしない。北摂の山間部に特産の淡水産で「青」を被せて呼びたくなる珍しい貝が生息するという話も見聞きしない。

青貝発祥地推定図1
青貝発祥地推定図2
堂屋敷発祥地推定図3
「青貝」と「堂屋敷」の発祥地
推定地図
緑と紫は止々呂美村全図の小字推定.
村境は1886-87(明治19-20)年測量、
1891(明治24)年発行の2万分1仮製図に依り
現在の大字境と異なる.

 止々呂美村誌(1931)の巻頭に止々呂美村の小字を記した「止々呂美村全図」がある。村域の輪郭を地形図から切り出して内側に小字を区切って描かれているのだが問題があり、切り出された青貝山と関わる吉川村との境が余野川水系の北山川の流域を源頭まで全て止々呂美村域に含めており、北西側に村と山間部の小字が膨らんでしまっている。また、上止々呂美と下止々呂美の境が余野川左岸山間部で地形図と合っていない。しかし、余野川沿いの住居地の字限は正確なようである。住居地以外の山間部も大まかな住居地との接し具合は見た通りに把握出来そうである。


止々呂美村全図

 同図で現在の青貝山の所在地の小字名は「西三方ヶ谷」で、今の森町の奥の岩谷川右岸一帯である。また、余野川左岸(青貝山は右岸)の明ヶ田尾山北西面の小字名が「東青貝谷山」で、明ヶ田尾山の北の小字名が「東青貝」である。そして、余野川右岸の豊能町川尻と接する天台山の南の尾根の山地の小字名が「大向青貝谷山」で、その西側を区切る大向川の谷筋の小字名が「大向」と「大向口」である。

 しかし、東青貝谷山は広すぎるように思われる。止々呂美村誌の本文には明ヶ田尾などの地名があり、近世の草山請証文で上止々呂美村の東縁の地名としてセットになっている、赤見谷山・明ヶ田尾山・青貝谷山(上止々呂美共有文書の弘化4年のものには「青貝山」とある)の三地名の内の明ヶ田尾山にあたる小字名が止々呂美村全図に見当たらないので、止々呂美村全図の東青貝谷山の南半分くらいの字名は明ヶ田尾山であったが、地籍地名として明ヶ田尾山だった山林が東青貝谷山にまとめられたのではないかと考えてみる。

 また、現在の森町北地区の東縁を流れる岩谷川の名は、止々呂美村全図によると本来のものでは無いように思われる。本来は「三方ヶ谷川」で、岩谷は現在の岩谷川と北山川の間に位置する366m標高点に突き上げる、岩谷川と北山川と同じ所でその間に分流する支谷で、岩谷川はこの支谷を流れる川の名と思われる。箕面森町近隣公園の横の岩谷川に架かる岩谷橋の銘板に「いわやばし」とあったが、岩谷の読みは本当に「いわや」なのだろうか。「いわたに」または「いわだに」ではないのだろうか。

 豊能町史史料編所載の上野家文書の天保8年の「栃山争論和談済口取替せ一札」に、上止々呂美村と高山村の境の地名として「青貝谷山」が出てくる。これは上止々呂美村と高山村との境と言うことで、余野川左岸の地名としか考えにくい。

 青貝山の西側・北側の小字名は豊能町史史料編の「豊能町の地名(小字名一覧)」によると「光ヶ谷(みつがたに)」である。青貝山の北から西へ流れる谷筋の名である。

 山頂に置かれる明治36年選点の三等三角点の名は「青貝(あおかい)」で、三角点の名は小字名と以上のように食い違っている。それほど広くはない止々呂美村で大きな領域を占める大向青貝谷山と東青貝谷山から離れて、別の青貝山という地名があったとは考えにくい。周辺の同日の選点の三角点の名でも小字名と食い違っている。箕面川支流長谷の源頭に三角点「堂屋敷」があるが、止々呂美村全図の小字「堂屋敷」は下止々呂美の長谷の出合より上流側の箕面川本流沿いの小字名で、三角点「堂屋敷」の所在地は八ツ岡或いは八ツ岡と長谷の境である。今の位置での青貝山の名は大向青貝谷山の辺りを指した「青貝」という、選点者の村絵図などの測量に依らない地元資料の場所の読み違いなどで付けられた三角点の名だけによって「山」と呼ばれているのではないか。地形図では明治42年測図、大正元年発行のものに今の位置に「青貝山」とある。明治36年より前の止々呂美村・上止々呂美村・下止々呂美村の村絵図があるなら見てみたい。


箕面川ダム湖上手の
推定つる尾(左)と
推定つる尾敷(右)

 堂屋敷(どうやしき)は箕面川ダム湖に突き出した小尾根の辺りの箕面川の緩傾斜な広い川原を言った「つる尾・敷(つるを・しき)」の転訛ではないかと思う。w とy は「強い」を「つをい」という人が居るように相通がある。「つ」は今のtsuではなく鎌倉時代以前のtuから「ど」に訛ったと考える。「つる」はひとつながりの尾根の意で、「尾」は峰で、「つる」の意が忘れられて尾根の意味が重複して付けられていると考える。堂屋敷の大水が出れば荒れる川原に文字通りの「堂」や「屋敷」は考えにくく、山の斜面も「堂」や「屋敷」を建てられるような緩斜面ではない。当該地は特に岩が多くもなく川原の中に箕面川の水流も見えているので「やしき」を「岩敷」の転訛とも考えにくく、目立つ低い小尾根が突き出て脇に広い川原のある処である。この小尾根の西側は今はダム湖となっているが、ダムが出来る前の地図で西側まで広く平坦な川原が広がって小尾根を取り囲んでいたのが見て取れる。

 「青貝」の読み方を明治36年の三角点の点の記は「あおかい」としているが、点の記のフリガナは後から補われたものである可能性もあるという。日本山名辞典は「あおかいさん(あおがいやま)」としている。日本山名総覧は「アオガイヤマ」としている。連濁で「あおかい」でも「あおがい」でも可と考えておく。

 「青貝」の地名の発祥は青貝山の場所ではなく、止々呂美村全図より余野川を遡って上止々呂美の集落が切れてから豊能町界までの余野川の両岸の山地と考えたい。上止々呂美集落もそれほど広い谷間というわけではないが上止々呂美集落北端の上ノ所の人家が切れて大向を過ぎてから更に谷幅が狭まる。岩場や崩壊地はあまり見られず、多少傾斜の緩い所には山田が開かれている所もあるが川筋の勾配も大きくなる。また、上止々呂美より下手の余野川の谷は平地の後背の山に低い段があり、それほど広く無いとは言え平地は比較的空が開けているが、上止々呂美集落より上手は高い明ヶ田尾山と天台山南尾根が谷間で迫り、通ってみると深い谷間にいる感が強い。二つの青貝谷山の間を抜けて豊能町域の川尻地区まで遡ると、再び空が広がる。青い所は見当たらない。


高山の下手から見た
大向口付近

国道423号線の
箕面市と豊能町の境付近
正面は明ヶ田尾山

 地名の「アオ」は「オホ(大)の転」が考えられる。大和葛城山の西の青崩(あおげ)が「おほ(大)」の例だという。比良山の、青い感じのしない広大な青ガレは「大ガレ」の転訛だと思う。熊野川支流天瀬谷の高さ200mの大岩壁のアオバイも「大碆(おほ・はえ)」だろう(中を穿って川が流れ落ちる巨岩の滝ノ拝もあるので紀州方言での「碆」は「はい」か)。南アルプス西側の青崩峠の崩れは青みのある部分もあるが、青みのない部分も小さくはない大きな崩れなので、「大崩れ」の峠ではないだろうか。余野川の上止々呂美上手の余野川両岸に青貝の山地名があると言うことで、余野川の深く大きな谷間である事を言う、「オホ(大)・カヒ(峡)」の転訛が「あおがい」また「あおかい」、また「峡」に更に「谷」を付けて「大峡谷(おほがひだに)」とも言ったと考える。余野川のこの大きな谷に面する山地を指して「あおか(/が)いやま」、また「あおか(/が)いだにやま」と言ったか、「大峡(おほがい)・処(ど)・の(助詞)・山」の訛ったのが「青貝谷山」ではないかと考える。

 青貝山は山名が地形図に付されているが、実態は長く連なる高くない尾根上のコブ程度の高まりである。上止々呂美共有文書の延宝5年の上止々呂美由緒万覚書に上止々呂美村と吉川村の境の山名として「しら石カ峯」が挙げられている。天台山は上止々呂美に接しておらず川尻山とも書かれたほぼ川尻村の山で、青貝山は上止々呂美村と吉川村の境だが、青貝山分岐のある高まりの方が高い。天台山から西に延び、吉川峠と青貝山に分岐する所の標高約480mの、青貝山分岐の高まりが「しらいしがみね」で、今の青貝山は「しらいしがみね」から延びる尾根上のコブに過ぎず、昔は名前が無かったのではないかと思う。青貝の発祥が余野川の峡谷で、峡谷の両岸の山地が青貝(谷)山なら、大向青貝谷山と東青貝谷山の広がりの中から、青貝山の本当の「山頂」の場所を探そうとするのは適当でないだろう。

参考文献
村石利夫,日本山岳ルーツ大辞典,池田末則,竹書房,1997.
荒川浩和,螺鈿,同朋舎出版,1985.
地図資料編纂会,明治前期関西地誌図集成,柏書房,1989.
小上「諄,止々呂美村誌,止々呂美村役場,1931.
豊能町史編纂委員会,豊能町史 史料編,豊能町,1984.
箕面市史編集委員会,箕面市史 史料編4,箕面市役所,1970.
地図資料編纂会,正式二万分一地形図集成 関西,柏書房,2001.
金田一京助,増補 国語音韻論,刀江書院,1935.
橋本進吉,国語音韻の変遷,古代国語の音韻に就いて 他二編(岩波文庫青151-1),橋本進吉,岩波書店,1980.
徳久球雄,コンサイス日本山名辞典,三省堂,1978.
武内正,日本山名総覧,白山書房,1999.
池田末則,日本地名基礎辞典,日本文芸社,1980.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
紀和町史編さん委員会,紀和町史 下巻,紀和町教育委員会,1993.



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