大台ヶ原山 尾鷲道 その3(又口辻〜又口)

 大台ヶ原尾鷲道を南行してきた場合、現在は地蔵峠から橡山林道に入るか、古和谷橡山分岐或いは古和谷下降点から古和谷林道に出るのが一般的だが、開設当時の尾鷲道は又口から柳ノ谷(りゅうのたに)に入り、大和と紀伊の国境を為すハチヤ川付近から尾根に上がり、又口辻で龍辻越と交差し、新木組峠まで尾根の東斜面をトラバースして、大台ヶ原に続いていた。1915(大正4)年に尾鷲の土井與八郎によって拓かれたという開設当時の尾鷲道を又口辻から又口まで辿ってみた。大台ヶ原から又口辻まではその1参照。又口辻から柳ノ谷までの後半は地形図(2017年現在)にある道筋とは異なっている。廃道と言われていたが、植林帯の部分は作業道として使われていたようである。ヤブは殆ど無く、路盤も一部を除いてよく残っているが、又口辻から尾鷲市街まで歩くとすれば、この又口道よりも地蔵峠を経由するにせよしないにせよ古和谷林道に下りた方が早い。


★又口辻〜尾根乗越


索道の支柱跡と
尾根乗越付近の地図

 又口辻から又口方面を見ると、木が茂っており道がある気がしないが、この木が茂っている区間はごく短くて10mも行かないうちにヤブはすっかり無くなる。数年前はこのヤブの入口に枯れ笹の茂みがあった気がするが、今はない。その後しばらくは、山手側がアセビとワラビの類のみが茂る裸地のようになっている。伐採の下限だったのか、元々木が生えにくい場所なのか。松浦武四郎の1886(明治19)年の丙戌前記に「樹木一面になし」1)とあるから元々なのか。谷側は広葉樹林である。時折笹が茂っていたであろう所を通るが、笹はすっかり枯れている。

 道の路盤の残り具合は、この先の索道の支柱跡までは、新木組峠から又口辻までに比べると少々悪い。大台筏場道の大台辻から川上辻までと同じくらいである。水平な道で谷を何度も横断する。洗い越しの石積みが残っているところもあれば、残っていないところもある。急斜面の石積みの桟道が見られ、その石積みの落ちてしまった半分の幅の段切りされた岩場が見られるのも筏場道と同様である。龍辻から下る幾つかの谷筋には、神明水よりはマシな程度に水が流れているが、水を汲めそうなのはいずれも道の路盤より下側であった。

 龍辻の南側に回ると針葉樹の植林の場所がある。目印の黄色のテープが付けられており、林業の作業道として使われているようである。


又口辻から
又口方向を見る

すぐヤブは
なくなる

枯れ笹の斜面が
あった

石積みの
路盤

段切りで作られた
路盤跡

今回
最も雪が多かった所

 古和谷左股の左股の左岸尾根を浅い堀割で横切ると突然明るくなる。ここから地形図(2017年現在)に記載されている道とは大きく離れるようになる。地形図(2017年現在)に記載されているような、ここから沢筋で古和谷左股の左股に下りていくような道型は見つけられなかった。浅い堀割から先の南向きの斜面は疎林でとても明るい。疎林の斜面に道がずっと続いているのが見える。浅い堀割から緩く下る横駆け道は国境稜線に達すると突然途切れる。国境稜線の標高1100mからその南の標高1070m強の鞍部まで、短いながら国境稜線に沿ってグネグネと掘り込まれた道で下りる。下りた鞍部の南寄りに索道の支柱跡があり、錆び付いたプーリーなどの残骸が見られる。

 索道の支柱跡から1112m標高点の高まりの東斜面に殆ど水平に道の跡が続いているが、尾根乗越までは道の残り具合はそれまでに比べると格段に悪い。非常に薄い路盤の跡で、全く残っていないと言いたい箇所もあるが、尾根の鼻などの傾斜の緩やかな箇所では明瞭に残っており、索道の支柱跡から尾根乗越までに一ヶ所だけ見た石積みや、数カ所で見られた人工的に段切りされた岩場に、道の跡を外していない意を強くする。

 1112m標高点の南東約250mのところで国境稜線に再び接する。国境稜線上には作業道があるようだが、それより明瞭な路盤が尾根を乗り越した西斜面に下って続いているのが見える。地形図(2017年現在)上の尾根を乗り越す地点とは標高でまだ50m以上の差があり、少々驚く。尾根を乗り越し、国境(県境)を越える地点だが標識などは何も無い。


浅い堀割を過ぎると
南斜面の明るい疎林の
トラバース道

国境稜線に
突き当たった後
掘り込まれた道を下る

索道の
支柱跡

1112m標高点の
東斜面薄い道の跡を
探りながら

1112m標高点の
東斜面の
段切りされた岩盤

1112m標高点の
東斜面で一箇所
だけ見た石積み

★尾根乗越〜柳ノ谷分岐


尾根乗越から柳ノ谷分岐付近までの地図

 尾根の西斜面は植林帯で暗い中に緩やかに道が下っている。道の路盤はそれまでに比べると非常に明瞭で歩きやすい。西斜面の道はそれほど長くなく、また尾根線に出る。また国境稜線に出たかと思っていたが、帰宅してGPSのトラックログを見ると大和側に入った尾根線の鼻の上であった。T字路になっていて、右が又口方面ではっきりした道筋である。左は古和谷左股の左股の源頭に向かっているようだが、少し下ってみるとはっきりしていない路盤であった。

 右に入って国境稜線の急斜面の西斜面を横駆けで緩やかに下る。沢筋に当たりそうになるとジグを切って更に斜面を下る。石積みや段切りされた岩盤が見られる。石積みは下るに従い多くなる。先のT字路の分岐から国境(県境)を流れるハチヤ川の右岸尾根上をジグを切りながら緩やかに下っていく。ずっと黄色の目印テープが付いている。標高860m付近に小さな山抜けがあり、その上を迂回する。標高850m付近でハチヤ川の右岸支流を渡る。洗い越しで渡っていたようだが、大部石積みは崩れている。崩れかけた洗い越しの下から僅かに水が流れ出ていて、ここが稜線までの最終水場ということになりそうだが、龍辻の南斜面でも水は得られるのでここで汲む必要は無かったように思われる。


尾根を乗り越して
はっきりした道

山の斜面にも
石積み道がある

段切りされた
岩盤もある

 ハチヤ川右岸支流の急斜面の右岸を石積みのジグを切りながら緩やかに下っていく。道の路盤はハチヤ川右岸支流に下りてから柳ノ谷に下り付くまで殆ど全て石積みで作られており、費やされた労力が思われる。道の路盤だけでなく山の法面も石垣で固められている所がある。殆ど水の無いハチヤ川右岸支流を、右岸の区間が長いが右左と渡り、谷の向きが南向きから東向きに変わるのを感じると左岸から大きく離れて斜面をジグザグに下り、標高約685mのハチヤ川の二股に下りる。二股に下りる地点が荒れていて、路盤が分かりにくいが、二股のすぐ上で右岸支流をまた渡り、ここからはハチヤ川本流の右岸を下る。

 尾根乗越から二股まではずっと植林帯であったが、二股から下は照葉樹林となる。道の路盤に多少ヤブが被るところが現れる。二股から下しばらくは斜面が急峻なので植林に適さなかったものと思われる。二股から下のしばらくは見下ろすハチヤ川の流れが穏やかで谷の傾斜が緩いことが分かるが、そのすぐ下でハチヤ川は滝場になっている。滝場の上では道は切り立った斜面に高く詰まれた石積みの桟道となるが、照葉樹林がよく茂っているのと、道の路盤が殆ど崩れていないのとで、恐ろしさは感じない。ヤブが切れて柳ノ谷下流に向けて視界が広がっているところがある。

 滝場の上のトラバース道からハチヤ川右岸尾根の鼻を回り込んで西斜面に入ると、聞こえる音はハチヤ川のシャラシャラとした軽い沢音から、柳ノ谷本流のゴウゴウとした重い川の響きに変わる。また植林帯となる。広い斜面をジグザグの石積み道で下るが、緩傾斜で作られたあまりの道の下らなさに、歩いていてちょっとイライラする。岩のゴロゴロした小さな谷地形を過ぎて、標高510m付近に石積みが崩れて、そこに懸けられた古い丸木の桟道も落ちかけている箇所が現れるがそれほど危険と言うこともなく、石垣に固められた山の斜面を柳ノ谷に下り付く。


ハチヤ川右岸支流に
下り付く

石積みの
道を下る

二股下から
高い桟道となる

ハチヤ川を
見下ろす

柳ノ谷下流方向の
展望

桟道が落ちている所も
ある

標高510m付近の
桟道崩落箇所

柳ノ谷分岐から
振り返る

★柳ノ谷分岐〜又口橋


柳ノ谷沿いの地図

 柳ノ谷左岸に沿って石積みの道があり、上流側は駒ノ滝銚子口の少し上まで続いているのを確認しているが、その上がどこまで続いているのかは見ていない。又口へは柳ノ谷に沿って下る。石積みの見事な道が続いている。標高480m辺りで沢沿いの石積みが落ちていて、小さく高巻く場所がある。標高460m辺りの、地形図(2017年現在)上の尾鷲道が下りてきている付近で右岸に渡るが、吊り橋が朽ちており、沢に下りて飛び石で渡る。橋を渡ったすぐ先で山の斜面を南寄りに登っていく道が分岐しているような気がしたが、先は確認していない。地形図(2017年現在)ではハチヤ川吐合の対岸の辺りから少し登って尾根を乗り越すように道が描かれているが、実際はずっと沢沿いである。標高400m付近には柳ノ谷に立派な滝があり、歩道から垣間見える。この滝の下で柳ノ谷は発電の為に取水されており、この後しばらく沢の音がなくなる。尾鷲第一発電所への送水トンネルの上の辺りではそれほど険しい地形ではないのだが、100mほど手摺り付きの金属の桟道が設置されている。桟道の脇には使われていない送水パイプが走っている。その先の涸れ沢を渡るところには石にロープが懸けられ金属の杭が打ち込まれている。標高370m付近で柳ノ谷林道の終点に出る。

 柳ノ谷は下るに従って支流の沢の水を集め、また水音が響くようになる。標高300m辺りには林道の山側から湧き水が吹き出している。湧水の下手は少し広くなっており、出口峠の道から下りてくる作業道がある。標高240m付近の山側には黒い岩肌に掘り込まれた中に庚申塔がある。又口の村はずれと言うことなのだろうか。庚申塔の場所は三重県尾鷲市ではなく奈良県上北山村で、又口の中心は尾鷲市の方ではないかと思っているが、県境などはあまり意識されずに村はずれとされたのだろうか。又口川本流との合流点が近づき空が広くなってくると、柳ノ谷の対岸の尾鷲市側には石積みが多く見られる。嘗ての林業従事者たちの家の土台の跡だろうか、或いは柳ノ谷索道などの駅の跡だろうか。頭上に樫の巨木が枝を広げている。杉の巨木もすぐ傍に立っている。又口の山ノ神である。山ノ神の下の又口の廃屋を過ぎて、ゲートの脇を通って栃川を又口橋を渡り、国道425号線のアスファルト道路に出た。栃川と柳ノ谷が合わさって又口川となる。尾鷲までは9kmほどアスファルト舗装道路を歩く。又口から尾鷲までバスが走っていた時代もあった2)が今はない。

 土井與八郎の寄進で作られた尾鷲道は「『柳ノ谷の八十町ばかり』」3)だという(この引用の元の資料が何なのか知りたい。また、見てみたい。)。メートル法に換算すると約8.7kmということになる。プログラム・カシミール3Dで、又口橋から柳ノ谷の分岐を経て尾鷲道で石積みの見られる北限の新木組峠までの距離を、以前歩いた新木組峠〜又口辻のトラックログに今回のトラックログを合わせて大まかに測ってみると、約8.8kmであった。「八十町ばかり」を、柳ノ谷を離れる分岐からと考えるとヲチウチ越の古道が以北にあった木組峠(細又龍辻)までとして測ってみても約7.0kmで足りない。土井與八郎の1915(大正4)年の寄進で新しく作られた区間は、又口から新木組峠までと考えて良いのではないだろうか。だが、そう考えると新木組峠〜木組峠の横駈けで幅広の地道の由来を別に考える必要が出てくる。石積みの使用・不使用、段切りされた岩盤の有無という点で大台ヶ原尾鷲道は新木組峠を境に規格が異なる。

 現在の尾鷲道である石積みのない新木組峠〜尾鷲辻(推定マブシ峠〜推定一本木(マブシ岳(仮)西鞍部)を除く)の緩傾斜で幅広の横駈け道は旧来の杣道やヲチウチ越の細道から、1928(昭和3)年の尾鷲港からの牛石ヶ原に置かれた神武天皇像運搬の際に索道で稜線近くの索道の支柱跡附近まで運ばれ、土井與八郎寄進の道を経由して、その先にも木馬を用いて通すべく幅広・緩傾斜に整備し直されたものではなかったかと考えてみる。一時的な木馬道であったと考えると、石積みが無く、尾鷲辻直下に歩道にしては異様に勾配が緩く、トロッコを通すわけにもいかないジグザグ区間があることにも説明が付きそうな気がする。推定マブシ峠から推定一本木の横駈け道は三角点「雷峠1」のある山並の斜面の崩壊で短い期間の内になくなってしまったと考える。神武天皇像は尾鷲から北山索道で古和谷に至り四里の険道を北山青年団その他の奉仕労力で牛石ヶ原に4)運ばれたようである。北山索道の古和谷駅は古和谷左股の左股の標高960m強の辺りにあったらしい5)。四里はメートル法に直すと約15.7kmである。古和谷駅跡から牛石ヶ原までの道の里程を測ってみると、索道の支柱跡から尾鷲辻までが約11.7km、尾鷲辻から牛石ヶ原までが約0.7km、古和谷駅跡から最も傾斜の緩い沢筋で索道の支柱跡までが約0.5km、計12.9kmとなった。約3.3里ということになる。四里とはちょっと盛り過ぎのような気もするが、索道の支柱跡から柳ノ谷分岐までの約2.8kmを加えると約3.9里となるので、四里は像が運搬された尾鷲道の距離ではなく尾鷲道全体の距離のことだったのではないかとも考えてみる。或いは尾鷲辻〜牛石ヶ原の代わりに尾鷲辻から大台最高峰の日出ヶ岳までの約1.6kmを加えて、約3.5里を四捨五入して四里とみなしたものか。


柳ノ谷
川岸崩落箇所

高巻いて
下りて振り返る

石積みが
見事

朽ちた
吊り橋

渡渉して
橋を見上げる

橋の下の
徒渉点を振り返る

岩盤に
掘り込まれた道

金属の桟道と
パイプ

ロープと杭のある
涸れ沢

柳ノ谷林道
終点

又口の
山の神

又口橋を渡って
振り返る

参考文献
1)松浦武四郎,松浦孫太,佐藤貞夫,松浦武四郎大台紀行集,松浦武四郎記念館,2003.
2)羽根増治郎,國立公園吉野群山熊野地方及附近の探勝案内,吉野山岳会,1934.
3)田村義彦,再びの山 尾鷲道自然保護ニュース,大台ケ原・大峰の自然を守る会(2017年1月15日閲覧).
4)でき上った神武帝の御銅像 北山青年団の労力奉仕で 兪よ大台ケ原に奉安,p9,16729,,1928年6月16日朝刊,大阪朝日新聞大和版.
5)Kazuo Sono,アルバム アーカイブKazuoさんのアルバム アーカイブ(2017年1月20日閲覧).



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(2017年1月15日上梓 20日改訂)