旧長峰峠(ca.1503m)

 御嶽四門の一つで西の「菩提門」とされ、飛騨から入って初めて御嶽山の見える場所である。木曽側からは飛騨街道、飛騨側からは木曽街道、江戸街道、鎌倉街道と呼ばれていたようである。現在の国道361号線の長峰峠(新長峰峠)から更に登った所にある。ヤブ払いがされていないとの1999年の記事を見かけたので残雪期にワカンで歩いてみたら、名所は雪の下に隠れていて見ることが出来なかった。だが、新しい看板があったので無雪期もまた歩けるようになっているのかも知れないと思い、夏に再訪した。ヤブは殆ど無く、夏も問題なく歩けた。1502.9mの三角点「平岩」のある辺りが旧道の最高点である。元は信州と飛騨との境という意で「御境峠(尾境峠/御界峠とも)」と呼ばれていたという新長峰峠から小日和田に向けて歩いてみた。飛騨側から登ると峰伝いすること約1500mで初めて信州側に下るので長峰峠の名が付けられたという。昭和41(1966)年に新長峰峠の車道が通じて昔からの長峰峠は「旧長峰峠」となった。

長峰峠の地図1
長峰峠の地図2
長峰峠の地図3
長峰峠の地図4

 現在の長峰峠である国道361号線の新長峰峠から入山。旧道は国道のすぐ東側の尾根の上にある。峠の数十m南側の路側帯が広い辺りが旧道のカーブのようで、そこから尾根に上がったようだと考えてみたが、峠の直上にも取り付きのような路盤がある。何度か切り替えたのかも知れない。今回は南側の所から取り付いた。唐松林である。

 新峠の直上からの路盤が合わさると新しい案内板があった。1m程度の雪に覆われているが道型ははっきり見える。唐松林から二次林に替わっていく。尾根の西側を巻いて絡みながら登っていくが尾根の直上を進む所もある。尾根線上では残雪の切れている所もあった。1409m標高点を越えると国境稜線の尾根から沢地形を渡り西隣の小尾根に取り付く。山の尾に切られたうねうねとした道を登っていく。左手の浅い谷から水音が聞こえる。

 再び西に回り込んで標高1490mを越えると広い更地に出る。更地の後方に継子岳を中心とした御嶽山の展望が広がる。更地の左手にコンクリの水槽のような物があったが、何だか分からなかった。或いはオケジッタスキー場最上部の施設の跡であったか。


新峠の上に
新しげな案内板

道型は
はっきりしている

更地から継子岳
(御嶽山)

 更地を登り切ると既に三角点のある台地の一角で、道の分岐がある。「望岳の森へ」と書かれた道標で左手に折れると地形図にある林道幕岩平線に繋がっており、オケジッタの日和田体育館の方へ下りられるようだが今回は割愛。


更地の脇の
水槽?

分岐の
標識

望岳の森への
分岐

 直進して台地を北へ進むと三角点「平岩(1502.9m)」があるはずだが、雪が深いので分からず。広い平坦な所で、雪でどこに道があるのかもはっきりしない。前方に看板が現れる。木曽義仲の伝承のある「駒かけ岩」とのことだが、一面雪で駒かけ岩がどこにあるのか、どのような岩なのかは分からなかった。そのすぐ先にまた看板があり、こちらも木曽義仲の伝承のある「腰掛岩」とのことだが、こちらも雪に覆われて全く分からなかった。すぐ傍に硯石という石もあったらしい。腰掛岩の看板の横には石碑が幾つか雪の上に顔を出していた。頭の取れた石仏を上に載せているのは天保の飢饉の明けた天保10年の石経塚なのだという。これらの石碑のある三角点より100mほど北方の腰掛岩の辺りが旧長峰峠と言うことなのだろう。標高は殆ど三角点と腰掛岩で変わらない。

 腰掛岩の後ろには乗鞍岳が聳えているのがよく見える。御嶽山の方向は樹林に覆われていて、昔は遥拝所があったとのことだから見えたのだろうが、スッキリとは望めなかった。


駒かけ岩の案内板

腰掛岩の案内板

石経塚

 旧長峰峠から尾根の西側斜面に入って下る。斜面の下手には林道幕岩平線が延びてきている。標高1460m強の所で尾根に切通があり、そこを通って東斜面の谷間へジグザグに下りていく。切通の北方の1460m強のコブは納剣山と呼ぶようである。谷間に下りるとすぐに橋があり、右岸へ渡る。明るい谷間を坦々と下り、標高1340m辺りで橋があり左岸へ渡ると針葉樹の植林下である。左岸の区間は短くて標高1320m辺りでまた橋で右岸に戻る。

 右岸に戻ると道は次第に堀割状となる。標高が下がって日も高くなって気温も上がり、残雪と言うには密度のあまり高くなかった雪が腐れてきてワカンを付けていても時折太股まで沈むのでなかなか歩みが進まなかった。小日和田川を橋で渡り、小日和田の廃屋の前に出た。此処にも新しい案内板があった。江戸街道は左折してすぐ右手の森越八幡神社の前から前坂峠(森之腰峠とも)を越えて日和田に、更に後ろ峠(十三曲峠とも)を越え、野麦街道へ続いていた。木曽側も長峰峠を越えてから中山道まで関谷峠・西野峠・地蔵峠と峠の連続であった。山また山の江戸街道であった。小日和田から西野へは長峰峠の他に、長峰峠の東方を通過する藤沢峠もあった。旧長峰峠以上にヤブに還っているであろう藤沢峠も残雪期に歩いてみたいが、西又川の源流徒渉箇所に橋が残っているのかどうかが気がかりである。


旧長峰峠から
乗鞍岳

切通を少し下がった
所から振り返る

小日和田近く
堀割状

 御境峠の名を、高根村史では信州と飛騨の境と言うことを命名の理由に挙げているが、稜線上の境という意味での尾境(峰境)の用字の方が当を得ているのではないかと考えてみる。


★再訪旧長峰峠・夏

 雪に埋まって見えなかった名所と望岳の森からの登路を確かめに、夏に再訪してみた。

 新長峰峠の僅かに長野県側に遊歩道としての旧長峰峠の登山口があり、余り踏まれていないがヤブと言うほどのことなく旧道に上がることが出来る。旧道の路盤に上がると、僅かに更にその先も登って、祠と馬頭観音や双体道祖神などの石造物の並ぶ一角がある。「新」長峰峠の遥拝所と言うことかと思われるが、御嶽山は唐松の木の間越しの眺めである。春先に道型を見いだして登った150mほど下手からの旧道は深く濃密な笹藪に覆われていたが、旧長峰峠への道は殆どヤブはない。緩やかで倒木も殆ど無く、その気になればマウンテンバイクでも登れそうな道が続いている。

 はじめのうちはカラマツの植林の中を進むが、まもなく広葉樹林となる。唐松林の林床にはホタルブクロやヤマオダマキ、オカトラノオなどが見られた。林の中は薄暗く、春先の木々に葉が無かった頃との雰囲気の違いに驚かされる思いがする。ヤマオダマキは殆ど白色の花ばかりである。峠までの後半は時折緩い丸木の階段が現れるようになる。

 春先に登った時に気になっていた左手からの沢音は今日も聞こえていたが、上手に至り、その沢を横断する所では水は流れていなかった。沢筋には草が茂り、大雨の後でも水の流れることは無さそうな沢地形であった。


新長峰峠の登り口
交通標識の
左から入る


新長峰峠遥拝所と
言うことか

祠から見た
御嶽山
木の間越し

案内板

ヤマオダマキ

ヤブは薄い

上部は階段有り

 春先に登った時に展望の良かった山頂直下の更地は高い草が茂り、御嶽山は見えるのだが、春先の爽快な眺めとは何かが違う感じがする。

 望岳の森分岐点では案内板の背の高さに驚かされる思いがする。分岐点を過ぎてすぐに道の右手に三角点。平坦な森の先の左手に駒かけ岩がある。高さ50cmほどの横になった岩で、上面の一角に窪みがあり、雨水が溜まっている。この窪みが木曽義仲の愛馬が戦勝を予知して勇み立って出来たのだという伝承があると看板に書いてあった。看板には愛馬による窪みが三つあり、更に義仲が槍を突っ立てた穴もあると書いてあったが、水が溜まるほど深い窪みは一つしかなかった。この窪みの雨水はイボに効くとか、木曽と飛騨の両方に分流するなどと書いてあった。この岩は稜線より僅かに西側にあり、実際は穴の水は全部飛騨側に流れそうな気がする。

 駒かけ岩から更に北に進むとすぐに、今度は道の右手に腰掛岩。駕篭掛け岩ともいうという。2m四方程度で高さ20cmもない低い平岩が二つ並んでおり、どちらかが腰掛岩と思われたが、どちらも腰を掛けるには低すぎる気がした。腰掛けてみると、どちらも低すぎて快適さが無かった。案内板は二つの岩の北側にあり、北側の岩は薄い板状で中程が緩やかに撓んだ形状であり、こちらが撓みを硯の海に例えた硯石で、南側の平らな岩が腰掛岩であったかとまずは考えてみたが、案内板に近い北側の薄い板状の方が腰掛岩で、ボコボコしているが多少真ん中付近が窪んでいるように見える南側の岩が、源義仲が軍略を記した時にくぼみの水を硯に使用したという、墨汁に使う水の溜まる硯石なのか。高根村史には義仲の使用した「水は今だに枯れることなく『義仲の硯水』と呼ばれている」とあるが、浅い窪みに水は無かった。望岳の森登山口の看板には、腰掛岩には義仲が長峰峠で休息した際に座った岩で太刀のコジリ跡があると書かれていたが、二つの岩を見てもどこがそのコジリの跡かは分からなかった。

 腰掛けるには低すぎるのに「腰掛岩」というのはどうも解せない。山上の広く平坦な所にあるので土を昔より被ったということも無いと思う。北側の薄く撓んだ板状の岩が削り節のように削って薄くしたような「刮削き岩(こそかきいわ/こそがきいわ)」通称「腰掛岩」で、南側の岩が刮削き岩の横にあるというだけで何の意味もないということの「漫ろ石(すずろいし)」通称「硯石」でないかと思う。休む為に源義仲の駕篭が据えられたという腰掛岩の別名の駕篭掛け岩というのは巻き気味に削られたように見える「勾削き岩(かがかきいわ/かががきいわ)」ではないかと思う。コジリ跡というのは元は岩の傷を指していたのではなく、全体が削り(ケズリ)取られたような形ということだったのではないか。馬を繋ぐ支点の無い駒かけ岩も、深い穴のような窪みを端の方が欠けていると見た「コバ欠け岩(こばかけいわ)」ではないかと思う。

 左手の石経塚の手前には平岩が木に立てかけられていた。「御嶽の信仰と登山の歴史」に「これが御嶽の祭祀と関係のあるものかどうかは文字が摩滅しているため判然としない」と書かれたのは、この岩であっただろうか。石で何かを作ると言うことは永続的な記念を意図するものであったのだろうが、石でも摩滅してしまうと言うことがあることに諸行無常を感じる。石経塚の上の石仏の頭も、いつしか落ちてしまう。

 道は腰掛岩と石経塚の間を進み、すぐ先に春先に乗鞍岳の展望が得られた場所だが、木々の葉に遮られて乗鞍岳は殆ど見えなかった。ここから小日和田の方へ下る。石経塚の左手にも古い道の路盤があったが、大部流れて腰掛岩と石経塚の間の道に付け替えられたようである。


更地は
草むらだった

更地から望む
夏の御嶽山

望岳の森
分岐点

駒かけ岩と
標識

駒かけ岩の
窪み

腰掛岩と硯石
多分手前が硯石で
奥が腰掛岩

推定腰掛岩アップ
撓んだ薄い板状の
岩である

文字が摩滅して
いるというのは
この岩か

唐松林の中を
小日和田へ下る

 下り始めると左手はまた唐松の植林になる。切り通しから小日和田までは春先の初訪時に完全に道型をトレースできたので、今回は林道幕岩平線で国道361号線に戻り、途中で望岳の森分岐までの道を確認することにした。

 林道幕岩平線は切り通しのすぐ上で旧道に合流して終点となっているが、長く使われていないようで木々や草が高く茂っている。その上、水はけが悪いようで藪の中に所々水が溜まっている。切り通しから登山口までのこの林道は地形図に描かれているけれど、少なくとも現状では周回ルートとしては使わない方が良さそうである。横断する一つの沢に水が流れていたが、藪に囲まれているので水を汲むのはちょっと面倒そうであった。

 登山口は分岐点から延びる尾根の上にあって、看板があるのですぐに分かる。ここが実質林道の終点である。尾根の鼻の上で展望が良く、南に継子岳、北に乗鞍岳がよく見える。

 登山口から旧長峰峠の分岐点までは広い刈り分けの道で所々階段がある。標高1490mでカックリ左に折れて古い作業道跡に入る。上の方から登山口に下りてくる際は目印も何もないので迷いそうである。分岐点はもうすぐ先である。

 林道幕岩平線の登山口には、分岐点から下りてきた尾根をそのまま下る「散策の路」の案内板があったので、望岳の森に付随する散策路でどの道も日和田体育館辺りを起点にしているのだろうと、これを辿ってみた。尾根上の道は次第にヤブが茂るようになり、途中にはっきりした左手に入る分岐点があったが、そのまま尾根上の道を進むと展望のない「展望台」を経て沢沿いに下り、また左手に入る分岐があったが今度は道が完全に藪に覆われて辿れないのでそのまま直進すると橋のない幕岩川の河畔に出てしまった。後から日和田体育館入口の、望岳の森の案内板を見ると×印で行き止まりとなっている。登山口から下手の林道幕岩平線も多少ヤブが茂って続いているのが見えたし、望岳の森はあまり整備されていないようである。


望岳の森
登山口

登山口
御嶽山の展望

登山口
乗鞍岳の展望

尾根上の
広い刈り分け

階段の
箇所がある

林道幕岩平線
草が茂っている

参考文献
Junji Kondo,木曽街道(飛騨街道)旧道を自転車で辿る(2/2)自転車 峠と山の旅.(2015年3月27日閲覧)
生駒勘七,御嶽の信仰と登山の歴史,第一法規出版,1988.
桜井正信,山国の街道と秘境文化,有峰書店,1971.
高根村史編集委員会,高根村史,高根村,1984.
長野県木曽郡開田村役場村誌編纂委員会,開田村誌 上巻,長野県木曽郡開田村役場村誌編纂委員会,1980.
長野県木曽郡開田村役場村誌編纂委員会,開田村誌 下巻,長野県木曽郡開田村役場村誌編纂委員会,1980.
陸地測量部,明治大正日本五万分の一地図集成3,古地図研究会・学生社(発売),1983.
中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.
小学館国語辞典編集部,日本国語大辞典 第5巻 けんえ-さこい,小学館,2001.



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(2015年3月27日上梓 8月1日再訪記追加)