拝殿山
乳子の池から

横から見ると尾根上のコブ
白草山天狗岩から

拝殿山

 地形図上では拝殿山の位置は三国山の尾根上のコブに過ぎないように見えるが、小郷から見ると奥の高い三国山は見えず拝殿山は独立峰の趣きである。

 拝殿山は御嶽四門の一つ、南の修行門とされる。御岳山の方向には三国山の山並みがあり、この位置が「拝殿山」ということが疑わしくも思えるが、文化7(1810)年の水谷豊文の木曽採薬記の踏査日記によると、「ハイデン」の位置は現在の拝殿山の位置と凡そ同じようである。カシミール3Dで数値地図から拝殿山から御嶽山方向の眺望を描かせてみると、三国山のすぐ右に最高所の剣ヶ峰を含む継母岳から三笠山の御嶽山が見えうることが分かる。拝殿山を御嶽四門と決めた人は「ハイデン」という地名の所から御嶽山が見通せることを知り、南の美濃からの御嶽の「拝殿」であったということにして、御嶽信仰に利用しようとしたのではなかったか。樋口好古の濃陽徇行記に、松平秀雲(君山)の宝暦6(1756)年の加子母村から今の拝殿山・三国山を経ての御岳登山記と、濃陽志略が引用される。濃陽志略は白河権現の縁起で四方に鳥居を建て美濃州三浦山に南の華表が在ると書くが、濃陽徇行記引用の松平秀雲の御岳登山記には、鳥居を見たとか、鳥居が現存しているとは書かれていない。

 松平秀雲の宝暦6(1756)年や水谷豊文の文化7(1810)年には道が小郷から梯子坂を登って濃飛国境に出て、尾根筋に沿って拝殿山〜三国山、更に継母岳を経て剣ヶ峰まであったようなのだが、今は白草山避難小屋から箱岩山までを除いてヤブが濃いようなので、小郷から東側の深山林道で梯子坂があったと思しき尾根を横断して、ネットで先人の記録を幾つか見て登りやすそうだった拝殿山南東稜から晴れの日に登った。だが、御嶽山剣ヶ峰は遠くの山が沈んで見える大気の状態だったのか、ガスがかかっていたのか、見ることはできなかった。

 小郷からハイデン・三国山を経て御嶽山までの国境稜線の道の一部は昭和一桁頃に下呂温泉から御嶽山への登山道として整備されたようだが、長大さが敬遠されて早々に廃道に戻ったようである。
拝殿山地図1
拝殿山地図2
赤点線が今回のルート

 舞台峠バス停から小郷の加子母大杉と乳子の池を見て深山林道へ向かった。福徳稲荷の赤い鳥居を見て山手に入って一段上がると古い農地のようで肥料置き場などがある。木曽採薬記に「小郷ノオクマキヨリ三丁許ニシテミヤマノタイラト云所ヲ四五町行テ」とある「ミヤマノタイラ」いうのがこの高台の平地のことでないかと思う。


乳子の池

加子母大杉

 深山林道を進み、手前の沢で水を汲んで尾根に取りつく。目印テープが多くあり入ると路盤があって、林道法面を上がるのは急傾斜だが、上がると尾根西斜面のトラバースの路盤となっており傾斜が緩い。トラバースの路盤は先で細くなって先の水を汲んだ沢の方に向かっていたが、先は確認していない。尾根に上がっていないようだったので、林道法面を上がってすぐの所から尾根線に沿って登る。尾根の下半に藪はなく踏み跡ははっきりしている。

 尾根の傾斜のきつい部分は左右に振って傾斜を緩めた路盤があったように見える所もあるが、路盤らしきものははっきりしないので尾根線に忠実に登る。尾根の上半は所々笹藪がある。尾根線に忠実に笹薮の中に続く目印テープと踏み跡があるが、東側に笹薮を避けても登れる。


尾根取り付き

西斜面にはっきりした道

尾根線上ヤブは少ない

笹薮もある

 標高1360mで尾根が広がった緩傾斜な所があり、その上から笹の密度と高さが上がる。笹薮の中に古い路盤や踏み跡が何本かあるが、中には猛烈な笹薮に突っ込む路盤もあって、登りは笹薮に入って40mの標高差に30分ほど藪を漕いだ。下りは猛烈な笹薮でない路盤を辿れて10分で笹薮を通過して下りた。この濃い笹薮に樹木は少なく、水谷豊文の書いた「ハイデンノ草場」だったのが笹薮になったのでないかと思う。

 山頂は針葉樹の樹林で暗い。三角点は最高点の数m南の古い路盤の脇にある。


1320m

1360m

山頂ヤブ

三角点

 御嶽山が拝殿山からどのように見えるのかを見たかったが、山頂は針葉樹の樹林で殆ど展望がない。三国山への稜線に残雪が100mほど続いており、山頂より針葉樹が少なく多少展望があるので残雪の上を歩き回って御岳山が見えるはずの北東方向を見たが御岳山は見えなかった。手前の1501.8mの四等三角点「杉ヶ平」のコブのすぐ脇に三国山も見えているはずなのだが、スカイラインの樹林で識別出来ず。

 木々の隙間の見通しの良いところを探し回りやすい、残雪がもっと広く残る冬の狩猟期間が終わってすぐの頃に、御嶽山は拝殿山から見て東方にあるので、午後の西日の時に登って見るべきだったと思う。


残雪が北東の稜線上に
続いていたので
歩き回れた

1501.8mのコブ
スカイライン右肩の右に
御嶽山が見えるはずだったが

三国山〜小秀山の稜線
下のシミュレーションの
右半に映る鞍部

カシミール3Dによる拝殿山(対地高度2m)から見た
北東方の眺望(高さ強調1倍)
国土地理院基盤地図情報数値標高モデル10mメッシュ(標高)利用

 下りは舞台峠に連なる南西の稜線に路盤が続いているのを見たので、南西に下ってみた。松平秀雲や水谷豊文が登ったルートである。標高1270m辺りまでは明瞭な掘り込み路盤と、そこの笹を刈り分けた形跡や目印テープがあったのだが、それより下にも掘り込み路盤は続いていたのだが刈り分けや目印テープが無く、猛烈な笹薮漕ぎになっていた。刈り分けと目印テープは1270mから東に分岐する支稜上についていたのでそちらに下りた。

 ところがこの支稜上の刈り分けと目印テープも1220mで稜線を外れて東斜面にまっすぐ下りていた。東斜面は急斜面で道ではなかった。山林の何らかの区分の境界線上の刈り分けだったのかもしれない。1140m辺りで谷筋に近づくが、谷筋に山抜けが多いので、谷の右岸の高いところをトラバース気味に下りて登りで尾根に取りつく前に水を汲んだ林道に出た。

 梯子坂があったと推定した尾根の末端の深山林道が遠回りしている所を見ると、笹の中に古い路盤があったので深山林道をショートカットして下った。

 鎮守尾から大威徳寺跡を見学して、牧の水無神社前に下りて舞台峠バス停に戻った。


肥料置き場と拝殿山

ソーラーパネルと拝殿山

大威徳寺跡

大威徳寺跡

水無神社

加子母大杉と拝殿山


★山名考・地名考

 拝殿山は三国山から南西に長く延びる尾根上のコブである。登った松平秀雲の吉蘇志略に「加子母属邑小郷有山、名曰梯子坂、先登此坂到一峰、名曰拝殿、云古有御嶽遥拝殿故名、又登高嶺、是飛濃信三州之界也」とあるのは今の拝殿山を拝殿と言っていると考えられる。水谷豊文は三国峠遠見場に登るにあたって「ハイデンノ草場」から南方が絶景で、そこから一丁(約110m)で「ハイデン」としている。「ハイデンノ草場」が今の拝殿山で、「ハイデン」は拝殿山北東の細長い尾根の緩いたわみで、「はひ(延)・たな(棚)」の連濁と転訛が「ハイデン」と考える。「はひ(延)・たわ(撓)」かとも考えてみたが、ハイデンより上に「カラマツノダワ」や「シラカンバノダハ」といった地名が木曽採薬記にあるので、デンは「たわ(撓)」ではないと考えておく。

 四門に鳥居があったがいつ頃からか再建も無く、というのは鳥居峠の名と神戸遥拝所の鳥居と神戸の北隣の鳥居地区の名から、そうであったと信じたいと宗教的な願望によって作られた説ではないだろうか。

 明治27年の飛騨国地図には拝殿山と思しき山が糸櫛山とある。

 以下、ミヤマノタイラより三国峠(今の三国山)まで木曽採薬記に出てくる地名を下から見ていく。

・梯子坂

 木曽採薬記に「ミヤマノタイラト云所ヲ四五町行テ三丁許急ニ登ル ハシゴ坂ト云 登リテ一町余行ケバ道ヨリ左ハ飛州 右ハ濃州ナリ」とある。ミヤマノタイラの平地から坂道となり、濃飛国境に出るまでが梯子坂で、梯子のようにきつい坂ということと思われる。

・ヒノキ休み場

 木曽採薬記に「ヒノキ休ミ場 ハシゴ坂ノ下ヨリ六丁許 ヒノキ多シ」とある。濃飛国境の標高1120m辺りと思われる。

・ハイデン坂

 木曽採薬記に続けて「此処ヨリハイデン迄ヲハイデン坂ト云」とある。

・牛小屋(牛ゴヤ)

 木曽採薬記によるとハイデンから登ってカラマツノダワより下である。濃飛国境の大尾根を越える所と言うことの、「をせ(峰背)・こへ(越)」の転が「うしごや」とまずは考えてみたが、拝殿山より上手で尾根越えしてどことどこを結ぶのか見当がつかない。その場所と意味を更に考えたい。

・カラマツノダワ

 木曽採薬記ではカラマツノダワとカラマツノダハが小郷から三国峠遠見場の間に夫々出てくる。小郷から登ってきてハイデンの次が牛ゴヤ/牛小屋でその次のカラマツノダワと、次のシラカバノダハの次のカラマツノダハで、次がドテ休ミ場で三国峠遠見場だが、カラマツノダワとカラマツノダハが拝殿山尾根中の同名異所とは考えにくい。場所は四等三角点「杉ヶ平」のコブの東側の撓みか。

・シラカンバノダワ

 木曽採薬記では「シラカンバノダハ」とある。ヒノキ休み場、カラマツノダワと植物名の入った地名が三つあることになるが、植生によるのだろうか。何か別の言葉が転訛して植物名となっている気がする。例えばカラマツは「カネ(矩)・マチ(区)」で垂直な壁のような地形を指していて、その近傍の尾根の撓みがカラマツノダワでないかという気がするが、地形図を見てもどこが垂直に見える壁のような地形が分からない。ヒノキ休み場は1120mの所なら尾根が曲がる所なので「ヒネ」とか「クネ」といった曲がっていること指す言葉が入っていたのでないかと考えてみるが、最後のキがどういう言葉であったかわからない。

・ドテ休み場

 木曽採薬記では「ドテ休ミ場」とある。三国山直下の標高1570m辺りか。

参考文献
生駒勘七,御嶽の信仰と登山の歴史,第一法規出版,1988.
水谷豊文,木曽採藥記 2巻,国立国会図書館蔵写本(特7-89)デジタル資料.
樋口好古,平塚正雄,濃州徇行記,一信社,1937.
松平秀雲,吉蘇志略,信濃史料叢書 第4,信濃史料編纂会,信濃史料編纂会,1914.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
久保太四郎,日本に名所が又一つ:下呂温泉と飛騨案内,小田垣印刷所,1932.
小島一祐,信飛国境の峠と山 ―その歴史的研究―,pp12-20,34,山と渓谷,山と渓谷社,1935.
飛騨教育会,飛騨国小地誌,岐阜県郷土資料研究協議会,2015.



トップページへ

 資料室へ 

御嶽山メインへ
(2022年4月24日上梓)