太田権現参拝

 本当は太田山に登りたかったが道は山頂まで続いていなかった。アイヌの人からもオオタのカムイとして尊崇されていたという。

 せたな町大成区の中心部から道道740号線を北西・海岸線沿いにたどる。帆越山トンネルをくぐるとまもなく海岸線の道路わきに大きな鳥居がある。太田権現である。この道路はすぐ先の太田集落で通行止めである。北側の水垂岬を経て北桧山区につなぐべく、工事は少しずつ進んでいるが、地元の建設業者の話では、開通まで10年以上はまだ掛かるのではないかとのこと。

 太田権現参道はGPSのトラックログを見ると微妙に地形図記載とは異なっているようだ。実際よりやや南側に描かれている。

 鳥居の下には長い階段が続いている。数えてみると142段あった。しかし長いだけに微妙に間違えているかもしれない。階段は水平面では一直線だが、階段斜面は揺れ曲がっている。階段には太いロープが二本下げてある。非常に段の幅が狭いだけに、事故防止のつかむ為のものだ。このロープに頼るつもりなら軍手を持参して、転んだ際にロープをつかみ、掌とロープの摩擦で火傷しないように軍手の着用をお勧めする。


下から仰ぐ太田山

階段 上から

ブナ林

 階段の中ほどと終了点にも鳥居がある。階段が終わると北側に地蔵が祀られているが、そこまでの5,6歩は道が急な斜面につけられ傾いているので注意を要する。ここで標高40mほどだ。ここからは山道となる。右にトラバース気味に登り、小さな沢地形を横断し、鉄の梯子を一箇所登ると、再び地蔵が祀られた岩がある。小沢はわずかに水が流れているが飲めるほどは流れていなかった。周辺は深いブナ林である。

 さらに急斜面を登って行く。道には全線に渡ってロープが設置されている。まもなく鳥居が現れ、お堂がある。鳥居は急斜面に付けられているので、下から見ると高いものだが、下りにくぐる時は頭がつっかえそうな気がする。このお堂の裏には八十八箇所巡りがあり、御幣が下がった岩がいくつか見えるが余り歩かれていないようだ。草が茂っている。八十八箇所とは言っても88も仏像があるわけでなく自然石で対応しているように見えた。

 この先は落石に注意が必要だ。道は一直線で浮石が多い。慎重に歩いていても思わず落石を起こしてしまうことがありうる。人が多いことが予想される時はヘルメットの着用をお勧めする。

 これほど一直線では落石の危険を歴史的に多くの人が感じてきただろう。相模の大山阿夫利神社のように、この地にもっと大きな人口密度があれば、現在の参道を「男坂」として「女坂」が別にジグを切って作られたであろうにと思う。周辺は急斜面ではあるが、ジグを切った「女坂」を造成できないほどではない。まぁ、今更要らないとは思うが、現在の道がこの状態で維持できているのは、道が荒れやすい雨の日に無理して参拝する人がいないなど、人口密度に大きく拠っていると思う。

 ボロボロした岩の崖が見えるようになると、山道は終わり、最後の大きな鳥居をくぐって、崖にかけられた10mほどの金網の桟道を歩き、5mほど鎖でほぼ垂直の壁を登り、本堂に到達する。最後の鳥居の前はウワミズザクラとサクラの木があり、座りやすい石もあり、少し広くなって休憩適地のように見えるが、上からの落石の危険があると思う。岩はかなりもろい。腐れている。


桟道から拝殿を望む

鎖場 下から

 桟道は完全に宙に張り出しており、かなりのスリルである。鎖は4本掛けられていた。他にロープなども掛けてあるが、どれを信用したものやら・・・。本堂のある岩穴は完全に崖に開いた穴で、近代的な桟道がなかった頃は、もっと鎖場が長かったのだろうか・・・。鎖場の上の階段の右手にある丸い円柱のような石は卵塔だろうか。もちろん鎖場も5mほどとは言え、かなりのスリルである。


最後の鳥居

鎖場の上

本堂

 さすがにここまでくるとお賽銭を上げたい清々しい気分になる。これほどお賽銭を上げなければという気分になったのは初めてだ。生きて、普段山に登れている、生活できている幸せを感謝してお賽銭を上げた。お堂の上には洞の内側に草や木が不思議な向きに生えている。えらいものだ。生きているとは素晴らしい。命万歳である。太田山山頂は残雪期にでもまた行こう。


 帰りは海岸線の少し南側の拝殿に寄った。大鳥居から歩いて10分ほどだ。太田権現に伝わる古仏は大正年間の火事で焼けてしまったそうで、拝殿の建物とともに新しく昭和になってから円空所縁の会に彫ってもらったと言う仏像などが安置されている建物がある。灯台のような定灯篭のレプリカ(?)が岩の上にある。


定灯篭と太田山

拝殿


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(2007年9月19日上梓)