尾立岳の位置の地図
尾立岳の地図

hiroyasuさんのご報告 一筆書いていただきました。

尾立岳 (1061m)
おたてだけ

尾立岳 平成16年11月3日 職場の人と3人で

 現在,尾立峠から荒川ダムへは尾立峠のところでチェーンが張ってあり,バス,タクシー以外は荒川ダムの方へは通行できないようになっている。荒川ダムの近くの道路が崩れており危ないということかららしい。

 尾立峠に車を止め,荒川ダムの方へ歩いて入口を捜す。

 以前に尾立岳に登った人から「尾立峠から2番目の沢から入っていった。」と言うことを聞いていたが,「沢は危ないのでやめておこう。」ということになり沢の手前から入山する。

 藪が結構,行く手を遮るが,尾根沿いだったのでわかりやすかった。尾立岳手前の小さなピークには尾立峠から50分で到達する。

 そこから少し下りまた登るが,頂上から40mのところで視界の開けたところに出る。白骨樹を目の前に,太忠岳の全貌が見えるところだった。そこで休憩し,頂上を目指す。ところが,ここから頂上へのルートがなかなか見つからない。しばらくルートを探し,見当をつけ頂上へ。30分で到達。

 地図上にも三角点の印がないことから何も頂上の目印はないと思っていたのだが,やはり三角点も祠も何も見つからなかった。見通しはほとんどなかったが,木の間から愛子岳ははっきり確認できた。

 頂上手前の小さなピークに戻り1時間程,食事をとる。

 帰路は往路を辿らず,適当なところから沢を下る。

 1時間弱で車道に出る。やはり沢からのルートの方がわかりやすかったと思った。


白骨樹

手前ピークから太忠岳

★山名考

 明暦の頃の作成と見られる屋久島大絵図に「尾立山」とあるのが山名の記録として古いようである。

 北東面を尾立沢が流れている。多くの山の名は川の名に基づく。薩摩藩の藩の山は「鹿倉山」あるいは「御建山」と呼ばれたというが、屋久島でのその領域は安房川流域では尾立岳よりずっと奥の奥岳主稜線まで広がっていたようである。御建山の手前の特別目立つわけでもない尾立岳を「御建山」と呼ぶことは無かったのではないか。御建山とは関係ない尾立沢の源頭の山/岳の意と思われる。


尾立沢〜小杉谷ルート推定図

 尾立沢は、千頭川から入ってしばらくと、最初の二股の右股は安房川本流と同じ向きに流れている。左股に入って次の二股の右股も、安房川本流と同じ向きに流れている。この流れ方を言う安房川の「裏手沢(うらてさわ)」か「裏処沢(うらとさわ)」が、尾立沢の語源のような気がする。

 シンプルに過ぎるような気もする。更に考えたい。

 屋久島大絵図には安房川右岸の山手から千頭川下流の辺りへ下り付く道が描かれているように見える。上の右股から山をを越えると、安房川本流の中島権現岳の辺りの屈曲をショートカットして荒川の尾立ダム湖に出る。荒川を渡ってジトンジ岳の南の鞍部を越えると太忠沢に出る。太忠沢から安房川に下りれば谷の広がる小杉谷は近い。遠回りな上に川の規模が大き過ぎて通行が面倒な安房川の裏手を繋ぐルートの入口が尾立沢だったのではないかと考えてみる。

 太忠沢も渡ってもう一つ山越えして次の沢から小杉谷に入っても良いような気がするが、次の沢の名前が屋久島の「山と高原地図」に載っていないのは、使われなかったと言うことなのかも知れないと考えてみる。安房鹿倉はこの小沢の左岸の尾根までで、現在の小杉谷と呼ばれる辺りは楠川鹿倉と宮之浦鹿倉であったようである。安房から来るのは安房鹿倉の荒川左岸と太忠沢流域が中心で、連絡路くらいはあっただろうが、現在の小杉谷の辺りまではあまり入らなかったのかも知れないと考えてみる。

 だが、尾立沢の通行が、それほど勾配はきつくないようだが容易か困難か、通行できたとしてどれほどの時間の短縮になるのか、分からない。尾立沢が昔ルートであったとしても、木材が搬出される頃には周辺の山腹道や尾根道へと切り替えられたと思われる。

参考文献
屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第1巻 村落誌 上,屋久町教育委員会,1993.
屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第3巻 村落誌 下,屋久町教育委員会,2003.
太田五雄,屋久島 種子島(山と高原地図66),昭文社,(1997).
太田五雄,屋久島 宮之浦岳(山と高原地図59),昭文社,(2004).



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(2004年11月19日上梓 2017年7月30日山名考追加)