琴岳の位置の地図
琴岳の地図

hiroyasuさんのご報告 一筆書いていただきました。

琴岳(245m)

 琴岳 それは上屋久町宮之浦 旭町の山側に見える標高245mの低い山である。

 子供の保育園の送迎にいつも通っている道(上屋久町グラウンド横の道路)をあがっていくと真正面に見える山でありいつも気になっている山であった。

 2004年10月2日,上屋久町グラウンド横の野球場の裏から登山道を見つけ,琴岳へ登山開始する。

 ピンクテープはないが,今年か去年ぐらいにつけたと思われるまだ新しい赤のビニールテープが木に巻き付けてある。これはおそらく鉄柱を管理しているところがつけたものと思われる。なぜなら…詳細は後述。テープは頻繁につけてあり,頂上までわかりやすくつながっていた。

 最初,見通しのほどほどある竹藪を赤テープに沿って進む。10分ぐらいすると用水路の跡だろうか,それにしては大きいかと思われる幅2mちょっとのコンクリートの側溝のような所を横断した。

 しばらく沢を登る。沢からはずれ尾根にはいり,高さを上げると下の町の様子が見えてきた。下のグラウンドで野球の練習や他のスポーツをしている声が聞こえる。標高が低いせいだろう。気のせいか車道を走る車の音も聞こえた気がした。


水路跡?

 頂上に着いたか?と思い手元のGPSで確認をする。まだ,先のようだ。と言っても10分もしないうちに頂上に出た。視界は竹藪で遮られ,この竹藪さえ払えば見通しが良くなるだろうに……と思った。

 西側の木に赤のビニールテープ上に「YN鉄柱←」と記してあるものがあった。琴岳は南斜面に送電線が引いてある。送電線を管理するところがこのルートの印を付けたのではないだろうか。(あまいものこ注:屋久島電工が管理しているのだろう)


基準点?三角点?

 さらに竹藪をかきわけ,祠を探すが見つからなかった。基準点?三角点?らしきものはあった。その向こう側には下る道があり,テープらしきものは確認できなかったが道が2つほどできているような感じで、下に行けば車道の一周道路があることから適当に下れば必ずどこかの車道に出るだろうという憶測は容易にできた。

 が,天気も晴天とは言えなかったのでもと来た道を戻って下山することにした。

 藪こぎなど特に難しいところは全くなくテープも明瞭にあるため,登山靴を履かなくても登れそうな山だった。

 ちなみに登り40分,下り30分の道のりだった。


山頂付近の様子

下界の様子

補記:文章、写真と合わせて送っていただいた動画を拝見すると山頂のヤブは本当にないも同然のようであった。照葉樹ばかりで林床にほとんど日が差さないのだろう。山頂を少し移動したら少し見えるとの宮之浦の街並みも、意外にすっきり見えているようであった。

★山名考

 明暦の頃の作成と見られる屋久島大絵図に「ごとふ山」とあるのが古いようである。

 永里岡(1998)は宮之浦の小字「後琴(うしとんごと)」と「大琴(おおごと)」について、「琴」の部分を「ごとわら」の「ごと」で、ごつごつした岩山・岩石が累積した岩山を指すとする。「ごと」は長野県の一部や福井県などで山中の岩場を指すという「ごつ」と同じものと思われる。ゴツゴツしていることの擬態語なのだろう。

 ごとふ山の「ごと」も、ごつごつした岩場のことかと考えたが、hiroyasuさんの記録からは岩がごつごつしている様子が窺えない。

 中央に近い所の言葉で言えば「うしろのごつ」の「後琴」の第3音節が「と」になっているように、「ごとふ山」の「と」も「ろ」で、宮之浦の集落に近い里山の低山である琴岳の姿を「平地にある小高い所(くろ)・の目立っている所(ほ(秀))」ということで「くろ・ほ」と呼んだのが訛ったのが、「ごとふ」ではなかったかと考えてみる。「くろ」のことを「ぐろ」と言う地方はあるようである。

参考文献
屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第1巻 村落誌 上,屋久町教育委員会,1993.
永里岡,屋久島の地名考,永里岡,1988.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.



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(2004年10月9日上梓 2017年7月25日山名考追加)