幌別連山の位置の地図
寿都町湯別 みのり橋から
幌別連山の一峰「天狗山」
最高峰はこの奥に位置する

幌別連山最高峰(約910m)
金が沢

 幌別連山は朱太川流れる黒松内低地と尻別側下流の平野に挟まれた南北に細長い古い火山性の山地(海底火山だったが隆起した)で、主峰「幌別岳(892.3m)」の位置には三角点があるが最高点とは1kmほど離れており、標高も20mほど低い。最高点には山名も標高点も振られていないが、本来、幌別岳と呼ぶならこの幌別川も突き上げる最高点であるべきだろう。寿都町の最高点は900mを超えている。幌別連山には他に天狗山(839.6m)、観音山(683.9m)、貝殻岳(732.6m)などがある。

 幌別連山と言う呼び名は適当につけた。ネット上では「幌別山地」と呼んでいる人もいるようだ。どなたか地元で通用する名称をご存知な方がいらっしゃいましたら教えてください。幌別岳から国道5号線目名峠を経て幌内山・金山に至る山塊を学術的には磯谷山地と呼ぶらしいが、これもあまり普及しているとは思えないので、目名峠より北側だけで呼んでみた。


 帰りのバスの時刻との兼ね合いから山頂まで行けなかった。地形図で見るより時間の掛かる沢だった。

 追分バス停から山に向かい、山腹で未舗装道路が左に折れるが、その道を直進するように古い道の跡がある。この道の跡は山の中に入ってすぐの大金鉱山精錬所跡までしっかりしているが、草が茂り、自動車で入るとかなり傷が付くと思われる。入口からは寿都湾と風力発電の風車がよく見える。

幌別連山最高峰の地図1幌別連山最高峰の地図2

 大金鉱山精錬所跡は七段ほど石組みが城壁のように聳える不思議な雰囲気の産業遺跡である。硫黄の臭いが少し漂っていた。ゴム状硫黄が付着している岩の隙間もあった。かつて高熱で硫黄を含んだ精錬に伴うガスが噴出していたことがあったのだろう。アリも多い。脇の森から城砦状の石組みの上に登ると整地された広場があったが、樹木に覆われそれほど展望は広がらない。坑道のあった場所(元山)は地質図によると山越えする点線の標高600m付近にあったらしい。

 大金鉱山(おおがねこうざん)は大正元年頃の発見で昭和5年から29年に掛けて金銀・マンガンなどを産出したそうだ。鉱山関係者で1000人規模の集落も形成されたという。坑道のあった元山地区と、精錬所のあった精錬地区に分かれ、元山地区の方が大きかったそうだ。集落が存在したのは戦前の昭和18年までで、戦後の生産では集落までは出来なかった細々としたものだったという。


精錬所跡全景

ちょっと横から

ゴム状硫黄?

ちょっと上がってみた

上から見下ろす
元山も見えただろう

原鉱石輸送用索道の
足場と思われる

 地形図では点線が更に金が沢に平行に続いているが、そうした道は見当たらず、沢に下りる路盤があったので沢に下りて入渓する。水は少し泥で濁っている。石の色は滑りやすい黒いものが多く暗い雰囲気だが灰色のナメも時折現れる。黒っぽいのは枕状溶岩だと思う。この岩は滑りやすい。コクワが沢の中にたくさん沈んでいた。沢は次第に側壁が切り立ち、深く穿たれた沢となるが函・ゴルジュなどは現れない。点線の道は右岸のずいぶん高いところを通っていたのだろう。

 280mで沢が激しく細かく屈曲し、その奥に釜持ち2段10m程度のF1(ナメ滝)がある。直登できるが下りは左岸から巻いて一つ下流の枝沢から降りたほうが早そうだ。林床がきれいで巻きに困難はない。滝の辺りはボロボロの水冷破砕岩で非常にもろく、滑りやすいということはない。滑りやすい岩と二つの種類の岩が入り組んでいる感じである。どちらも海底から噴出した溶岩には変わりないらしいが微妙に冷やされ方が異なってこういう違いになるらしい。

 その先で鉄パイプと小さなコンクリの建造物跡があり、昔の大金鉱山元山への道(点線)の休憩点だったのかもしれない。道の跡はこの建造物の周辺にわずかに見られたが、山腹に登る部分は全く分からなかった。この道は黒松内町と大金鉱山を結ぶのみならず現在の地形図にも記載されるように東側に山越えして蘭越町にもつながっていたようだが、蘭越町方面との往来については図書館で調べてみてもよく分からなかった。

 ここから先しばらくすると、完全に山越えの道とは離れ、純粋な沢の遡行となる。沢は相変わらず細かく屈曲し、地図上の距離がはかどらない。まもなくF2(4m直瀑)があり、左から直登できる。下降もホールドで簡単。その先、せせらぎがきれいな部分もあるが倒木がひどくて沢通しが難しく感じることもある。岩をくぐる場所があったりする。岩をくぐる辺りが地図上の山越えの道・元山への道の尾根取り付きだ。ここまで時折、目印の赤テープがあった。道と大金鉱山について調べることを目指している人がいるのだろう。

 350m付近で大きな滑床が現れ期待が高まるが、この滑床はすぐ上で倒木で覆われていて、あまりナメを楽しむ間はなかった。ナメの中間付近に3段10m程度の大きなナメ滝があるが、倒木でイマイチきれいな感じがしない。しかも倒木を越えるのが大変で通過に時間が掛かる。

 410m付近にも大きな倒木の塊がある。420m二股は両股とも滝になっている。水量は1:2で直登沢のほうが少なく、右が3mのきれいな直瀑であるのに対し、左の直登沢はは1mほどのチョックストンの隙間から漏れているような滝である。1mのチョックストンの上は数mのゴルジュ地形だが土砂で埋まっていて浅い。その上にまた巨大なチョックストンが2つ詰まっているが隙間を簡単に登れる。


F1上段

F2

後方に天狗山が見える

F3 倒木だらけ

420m二股 左

420m二股 右

 ここからしばらくはきれいな小滝が続き快適であるが長くは続かない。次第に倒木とイラクサが多くなり、何もないのに全く大変な沢となった。倒木の合間には小滝があり、小滝登りだけは楽しいが滝の間が大変である。イラクサが非常に多く、刺されて腕や顔がしびれるので歩みが進まず、水流はまだあったが標高650mで断念した。一度雪が降って下草が全て倒れた時期(晩秋)が登山適期だと思う。またイラクサがなかったとしても細かく屈曲した沢と倒木で相応の時間は掛かると思われる。

 周囲の雰囲気は高山的になり、ネマガリの笹原も沢沿いに届いているが高茎草原が稜線間近まで続いている谷地形もあるようだ。上方には大きな露岩が多く聳え、遠方から眺める緩やかな幌別山地のイメージと違い、険しさを感じる。ここまで標高が上がれば、この先もう危険な箇所はなくヤブをひたすら漕ぐだけであっただろうと予測している。


ヒョングリ状の滝があった

こんなきれいな場所もある

到達地点付近から上部を見上げる


森の中の沢沿いに残るコンクリの跡

★山名考・川名考

 幌別岳の幌別は山地の北方に流れる幌別川によるのだろう。地元では幌別岳とはあまり呼んでいないようだ。特に名前をつけて認識していないようだ。

 金が沢は大金鉱山の鉱山廃水で金気が流れていたから金が沢と呼ばれたわけではないらしい。大正元年頃の鉱山発見であるが、明治29年発行の地形図には既に「カ子沢」と振られていた。また昭和10年からの精錬の鉱山廃水は金ヶ沢ではなく隣のルロコマナイ川へ流されていたと言う。或いは砂金でも金ヶ沢の下流にあったのかもしれない。鉱山廃水以前から金気があったということだろうか。

 榊原(1997)は松浦武四郎・永田方正の記録からフムナイhum us nay[音・群在する・川]としている。松浦武四郎はフムセナイと真ん中の音をシではなくセと記録している(永田はシ)。また金が沢の規模の割りに水量が多く川音が大きかったとのことが論拠として書かれているが、道道寿都黒松内線の橋(金ヶ沢橋)から自分が見た限りでは水量はむしろ規模より少なく感じた。この川、対岸の湯別から見ると幌別山地の谷間から出るところから顕著な扇状地を形成していることがわかる。道道が横断する扇央では水量が少なく、朱太川に合流する扇端では水量が多いということはあるのかもしれない。朱太川を案内するアイヌが川の特徴として出合の水量でランドマークとしても悪くはないと思うが、やや弱いような気がする。また朱太川上流側のウエン別川がウェンベツである根拠として沢水が軽く濁っていることが挙げられていたが、水量の少なかった今回の金ヶ沢の水も泥でわずかに濁っていた。

 アイヌ語辞典ではフセという単語があり、「フという。悪神を払うためのおたけびの声を上げる」という意味が載っていた。この言葉だとすれば単純に「フというような沢音がする川」ということなのか。個人的な意見で類例の検討などしていないが、フムセナイ=金ヶ沢の同定が正しいと仮定するならば、扇状地の丘の扇央を流れる金が沢ならフルナイhur us nay[丘・にある・川]ということはないのかと考えてみる。だが扇状地の丘にに流れるのは近隣のウェンベツ川や一木川、ルロコマナイ川も同じである。

 この辺りの松浦武四郎の文章での記録はやや錯綜している感じがする。自分で読んでみても、この辺りであることは間違いないのだが、すぐに松浦武四郎の記したフムセナイが金ヶ沢とイコールで結び付けられない気がする。だが、東西蝦夷山川地理取調図では金ヶ沢の位置にフムセナイが書かれている。

参考文献
1)黒松内町,黒松内町史 下巻,黒松内町,1993.
2)榊原正文,データベースアイヌ語地名1 後志,北海道出版企画センター,1997.
3)中川裕,アイヌ語千歳方言辞典,草風館,1995.
4)松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集4 巳手控,北海道出版企画センター,2004.
5)松浦武四郎,東西蝦夷山川地理取調図,アイヌ語地名資料集成,佐々木利和,山田秀三,草風館,1988.



トップページへ

 物置へ戻る 
(2008年9月23日上梓)